図書館徘徊中
図書館に入ると、その時の必要に迫られている参考書が欲しい場合は、まずその書架に向かう。
例えば、次回のウォーキングに予定しているコースの参考になるようなものだが、できるだけ新しい情報が載っているのを見たいのに、そういうのがあるはずがないことも承知しているので、ほとんど通り過ぎるために寄るみたいなものである。
その後はそのときの気分で順序は変わるものの、訪問先はほとんど同じで、棚を端からゆっくりと眺めて、既視感のない背表紙を察知していく。
辛いのは最下段だ。
数分間しゃがんでしまうと、立ち上がる時に貧血を起こしそうな気がして、棚に手を触れながらゆっくり立ち上がらなければ不安になる。
時々は棚の上の方と下の方の本を入れ替えてくれないものかと思うが、こんなに低い棚の書物を整理する職員さんも気の毒である。
本は、いくつかのカテゴリーを混ぜて借りることが多い。
この一年ほど、なぜか時代小説もそれに加えるようになった。
これは外国の推理小説や法廷物に新しい蔵書がなくなったせいだと思うが、私はこういうものをリクエストしないだけの分別があるので、ないならないでじたばたしない。
ところが時代小説を読みだしてあきれたのだが、必ずといっていいほど先頭に近いページの隅に丸印が書き込まれているシリーズがあるのだ。
これは、こういうのを乱読する輩が既読を瞬時に分かるようにしているのだが、私も何ページも眺めなくてもそれが分かる記憶力があればと思うけれど、こういう方法で解決するのが蔓延していないのがまだしも救いと見るべきかも知れない。
必ず寄るコーナーは短歌と俳句で、1・2冊は借りることが多い。
非常に腹立たしい思いをするのは、短歌や俳句に鉛筆でチェックがされているのを手に取ったときである。
語句に傍線を引いている個所まである。
これは何のつもりなのだろう。
いいと思った歌か俳句の、一時的なマーキングなのか。
それならそれで転記をするならして、せめて書き込んだ印を消したらいかがなものか。
他人が何らかの評価をした痕跡がはっきり残されているものなど、誰が読みたがるだろう。
好きな歌人の作品であれば、読む気になれない気にさせてしまった人物への怒りはさらである。
私にとっては特に腹のたたない狼藉もあった。
毎日の新聞がバインダーに挟まれて図書館に置かれていた頃のことであるが、座席で本を眺めていたら、辺りをはばかるような音でピリピリと紙を破る気配がした。
見渡したら図書館の新聞を破っている男がいる。
紙面はどうやら競馬か競艇のページで、出走表の部分を恐る恐るいただいているのである。
情けないというより、新聞を買う金までも馬券か舟券に回したいという、潔いというか、徹底というか、ほほえましささえ感じられる光景に思えた。
自分にとってどうでもいいものについては、このように大らかな気分でいられるという、まことに勝手な私なのである。
例えば、次回のウォーキングに予定しているコースの参考になるようなものだが、できるだけ新しい情報が載っているのを見たいのに、そういうのがあるはずがないことも承知しているので、ほとんど通り過ぎるために寄るみたいなものである。
その後はそのときの気分で順序は変わるものの、訪問先はほとんど同じで、棚を端からゆっくりと眺めて、既視感のない背表紙を察知していく。
辛いのは最下段だ。
数分間しゃがんでしまうと、立ち上がる時に貧血を起こしそうな気がして、棚に手を触れながらゆっくり立ち上がらなければ不安になる。
時々は棚の上の方と下の方の本を入れ替えてくれないものかと思うが、こんなに低い棚の書物を整理する職員さんも気の毒である。
本は、いくつかのカテゴリーを混ぜて借りることが多い。
この一年ほど、なぜか時代小説もそれに加えるようになった。
これは外国の推理小説や法廷物に新しい蔵書がなくなったせいだと思うが、私はこういうものをリクエストしないだけの分別があるので、ないならないでじたばたしない。
ところが時代小説を読みだしてあきれたのだが、必ずといっていいほど先頭に近いページの隅に丸印が書き込まれているシリーズがあるのだ。
これは、こういうのを乱読する輩が既読を瞬時に分かるようにしているのだが、私も何ページも眺めなくてもそれが分かる記憶力があればと思うけれど、こういう方法で解決するのが蔓延していないのがまだしも救いと見るべきかも知れない。
必ず寄るコーナーは短歌と俳句で、1・2冊は借りることが多い。
非常に腹立たしい思いをするのは、短歌や俳句に鉛筆でチェックがされているのを手に取ったときである。
語句に傍線を引いている個所まである。
これは何のつもりなのだろう。
いいと思った歌か俳句の、一時的なマーキングなのか。
それならそれで転記をするならして、せめて書き込んだ印を消したらいかがなものか。
他人が何らかの評価をした痕跡がはっきり残されているものなど、誰が読みたがるだろう。
好きな歌人の作品であれば、読む気になれない気にさせてしまった人物への怒りはさらである。
私にとっては特に腹のたたない狼藉もあった。
毎日の新聞がバインダーに挟まれて図書館に置かれていた頃のことであるが、座席で本を眺めていたら、辺りをはばかるような音でピリピリと紙を破る気配がした。
見渡したら図書館の新聞を破っている男がいる。
紙面はどうやら競馬か競艇のページで、出走表の部分を恐る恐るいただいているのである。
情けないというより、新聞を買う金までも馬券か舟券に回したいという、潔いというか、徹底というか、ほほえましささえ感じられる光景に思えた。
自分にとってどうでもいいものについては、このように大らかな気分でいられるという、まことに勝手な私なのである。