「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」
マスメディアは「厚生労働省は( 2022 年9月) 16 日、全国の 100 歳以上の高齢者が15日時点で、前年比 4,016 人増の9万 526 人になったと発表した。……女性が約9割の8万 161 人で、男性は1万 365 人だった。『敬老の日』( 19 日)を前に、厚労省が集計した」と報じた。
最近では 100 歳に近い高齢者の活躍やその生活がマスメディアでよく報じられている。我が家の檀那寺の元坊守さんは 101 歳だが、元気に定例法座や法要の席に顔を出しておられる。このような幾つかの事実には気が付いていたが、 100 歳以上の高齢者が9万人超であるとは思いもよらなかった。
老人福祉法が制定された昭和38年には 100 歳以上の老齢者は 153 人だった。
この記事にある「『敬老の日』を前に(厚労省が集計した)」との表現はマスメディアの勉強不足あるいは誤解だろう。「敬老の日を前に」であることはその通りだが、厚生労働省が「15日時点で」発表したのは、9月15日が老人福祉法第5条2項で「老人の日」と定められていることが念頭にあったはずだ。同法では「老人の日は九月十五日とし、老人週間は同日から同月二十一日までとする」と定められている。「敬老の日」は国民の祝日に関する法律で9月の第3月曜日である。9月15日と特定されているのではない。
もし、「〇〇の日を前に」と書きたければ「『老人の日』を前に」とすべきであろう。
このようなどうでもいいことに気が付き文句を言うのは老人の悪い癖だと思いながら、佐藤愛子著「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」(小学館)を読んでいた。
比較的活字が大きなこの本はあっという間に読み終えた。理由は、老齢者を対象にした分かりやすく、達者かつ小気味好い文章と構成にあると感じた。ただ昔話が多いように思ったが。
いろんなことに楽しく文句を付け、思い出話を書いておられるが、以下に私が面白いと思った内容三つを書き留める。
この本の最後の一文は「みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。2021年庭の桜散り敷く日」である。
最近では 100 歳に近い高齢者の活躍やその生活がマスメディアでよく報じられている。我が家の檀那寺の元坊守さんは 101 歳だが、元気に定例法座や法要の席に顔を出しておられる。このような幾つかの事実には気が付いていたが、 100 歳以上の高齢者が9万人超であるとは思いもよらなかった。
老人福祉法が制定された昭和38年には 100 歳以上の老齢者は 153 人だった。
この記事にある「『敬老の日』を前に(厚労省が集計した)」との表現はマスメディアの勉強不足あるいは誤解だろう。「敬老の日を前に」であることはその通りだが、厚生労働省が「15日時点で」発表したのは、9月15日が老人福祉法第5条2項で「老人の日」と定められていることが念頭にあったはずだ。同法では「老人の日は九月十五日とし、老人週間は同日から同月二十一日までとする」と定められている。「敬老の日」は国民の祝日に関する法律で9月の第3月曜日である。9月15日と特定されているのではない。
もし、「〇〇の日を前に」と書きたければ「『老人の日』を前に」とすべきであろう。
このようなどうでもいいことに気が付き文句を言うのは老人の悪い癖だと思いながら、佐藤愛子著「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」(小学館)を読んでいた。
比較的活字が大きなこの本はあっという間に読み終えた。理由は、老齢者を対象にした分かりやすく、達者かつ小気味好い文章と構成にあると感じた。ただ昔話が多いように思ったが。
いろんなことに楽しく文句を付け、思い出話を書いておられるが、以下に私が面白いと思った内容三つを書き留める。
- (町のささやかな個人開業医院と比較して)病院という大きな組織の中では、我々患者は「人間」ではなく「患者」という「物」としてあつかわれる。病院へ行くということは、「物」になり切る覚悟というものが必要なのだ。
- (新聞の人生相談の内容に関して)「うーん、今はこういうこと(相談内容の意)になったのか」
- (老いてからの歳月を前向きに過ごすにはどうすればいいか、との質問に対して)べつに老人が前向きに生きなければならないってことはないんじゃないの?……しかし考えてみると、老人の前向きは往々にして、はた迷惑になりかねない場合があるようで……。
この本の最後の一文は「みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。2021年庭の桜散り敷く日」である。