京の道
熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋から、銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋までの東山山麓の琵琶湖疏水に沿う約1.5kmの散歩道は、哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたという。
ドイツ・ハイデルベルクの旧市街に沿って流れるネッカー川の対岸の中腹にあるウォーキング道、それはゲーテをはじめ多くの詩人、哲学者が歩き、瞑想や思索にふけった道であるが、この道に倣って「哲学の道」と名付けられた快適な道は、現在では数多くの観光客が訪れる。
「哲学の道」だけでなく、今までに読んだ小説の中でも京都の道が美しい言葉で描かれているものが幾つもあった。その言葉に導かれる形で小説の主人公が歩いた道を歩いたこともあった。
夏目漱石の「虞美人草」に描かれた比叡山への道については幾つかの文章を記憶している。祇園で遊んだことはないが、白川を背に横たわるように置かれている吉井勇の歌碑もその紹介文とともに知っている。ノーベル賞受賞対象作の一つだと報じられた川端康成の「古都」は朝日新聞連載時に読み、数多くの京都の名所旧跡や年中行事さらにはそれらに関係する道を知った。北山杉の里中川も訪れた。
蔵田敏明による「文学散歩 作家が歩いた京の道」(淡交社)は20年間の東京生活から関西に戻ってきたときに買った。帯に書かれた「美しい日本語でたどる京の道案内」という語句にひかれた訳ではないが、久し振りに京都を歩いてみよう、作家が歩いた道や小説に描かれた京都の道を歩いてみようという気持だったのだろう。
結果的にこの本をガイドブックとして使って小説の主人公が歩いた京都の名所旧跡に連なる道を歩くことはなかった。しかし、暇なときに取り出し、むかし歩いた道を思い出しながら写真や文章を眺めたことは幾度もある。
最近ではBSテレビが京都の道やそれに連なる風景を観光案内的に興味深く放送してくれている。これはこれでよいと思い録画して楽しんで見ている。
しかし視聴しながら、かつて私が歩いた道、眺めた風景とは違うように思われるのは、若かりし頃の感性が消え去った結果だろうか。いやそうではあるまい。その当時に心に止めた鄙びた奥行きのある風景、佇まいが観光用に整備された結果だろうと老いた私は思っている。
ドイツ・ハイデルベルクの旧市街に沿って流れるネッカー川の対岸の中腹にあるウォーキング道、それはゲーテをはじめ多くの詩人、哲学者が歩き、瞑想や思索にふけった道であるが、この道に倣って「哲学の道」と名付けられた快適な道は、現在では数多くの観光客が訪れる。
「哲学の道」だけでなく、今までに読んだ小説の中でも京都の道が美しい言葉で描かれているものが幾つもあった。その言葉に導かれる形で小説の主人公が歩いた道を歩いたこともあった。
夏目漱石の「虞美人草」に描かれた比叡山への道については幾つかの文章を記憶している。祇園で遊んだことはないが、白川を背に横たわるように置かれている吉井勇の歌碑もその紹介文とともに知っている。ノーベル賞受賞対象作の一つだと報じられた川端康成の「古都」は朝日新聞連載時に読み、数多くの京都の名所旧跡や年中行事さらにはそれらに関係する道を知った。北山杉の里中川も訪れた。
蔵田敏明による「文学散歩 作家が歩いた京の道」(淡交社)は20年間の東京生活から関西に戻ってきたときに買った。帯に書かれた「美しい日本語でたどる京の道案内」という語句にひかれた訳ではないが、久し振りに京都を歩いてみよう、作家が歩いた道や小説に描かれた京都の道を歩いてみようという気持だったのだろう。
結果的にこの本をガイドブックとして使って小説の主人公が歩いた京都の名所旧跡に連なる道を歩くことはなかった。しかし、暇なときに取り出し、むかし歩いた道を思い出しながら写真や文章を眺めたことは幾度もある。
最近ではBSテレビが京都の道やそれに連なる風景を観光案内的に興味深く放送してくれている。これはこれでよいと思い録画して楽しんで見ている。
しかし視聴しながら、かつて私が歩いた道、眺めた風景とは違うように思われるのは、若かりし頃の感性が消え去った結果だろうか。いやそうではあるまい。その当時に心に止めた鄙びた奥行きのある風景、佇まいが観光用に整備された結果だろうと老いた私は思っている。