古書店主のレファレンス
出久根達郎さんは古書店主である。そして直木賞作家でもある。この出久根さんに「本のお口よごしですが」(講談社)という優れたエッセイ集がある。北海道新聞日曜版に「古書往来」として1987年9月から1990年9月までの間に連載された文章を纏めたものである。
ここでは書物に纏(まつ)わる古今東西の諸々が軽妙な筆致で書かれている。その中に古書店主のレファレンス作業が書かれた一文がある。現代の司書さんも同じような漠然とした質問に対応されているのだろう、と思いながら読んだことである。
ちょっと引用しよう。
本の売買のみが古本屋の仕事ではない。客の本さがしもひきうける、と書き「めがねをかけた犬がですね、鉄砲をうつのです」・・・「言葉をしゃべりましてね」・・・「額に、いや全身だったか黒いペンキをぬっていましてね」・・・「立派な本でしたよ。布表紙で箱に入って」という会話から、田川水泡のマンガ「のらくろ」だと一週間後に判明した話。
出久根さんは、そのお客が元大学教授で量子力学の本ばかり買う人だからマンガには思い及ばなかった、と残念そうに書いている。
ちなみに、私はこのマンガを読んだことはないが、直ぐに「のらくろ」に思い至った。
「サンズの川はご存知ですね」・・・「子供たちが歌をうたってますよね。ひとえ積んでは父のため、って聞いた覚えありませんか」、「あります、あります。確か、ふたえ積んでは母のため・・・」、「その歌の全文を知りたいんですが、なんという本にでてますかしら」
出久根さんは仏教書、民俗学の本や数え歌や俗謡全集にあたったが、見付からない。地獄の研究書にもない。3日かかって歌の正体が「和讃」であるのをつきとめた。新書版の通俗仏教書に出ていたという。
この本の売値は100円だった。「客には大層喜ばれたが、儲けだけを考えたら、この商売やれるものではない」と出久根さんは書いている。
この依頼内容について、「ひとえ積んでは父のため」という言葉は何かの小説で読んだ記憶が朧げにあるが、私にはそれ以上の知識はなかった。試しにグーグルの検索欄に「ひとえ積んでは父のため」と打ち込んでみた。一発で「西院河原地蔵和讃 (賽の河原地蔵和讃)」が現れた。
グーグル先生がかなりのことまで教えてくれる世になり、便利なことこの上ないが、いろいろと想像を巡らせ、知識を総動員して調べることに郷愁を抱く私は、多分時代遅れなのだろう。
ここでは書物に纏(まつ)わる古今東西の諸々が軽妙な筆致で書かれている。その中に古書店主のレファレンス作業が書かれた一文がある。現代の司書さんも同じような漠然とした質問に対応されているのだろう、と思いながら読んだことである。
ちょっと引用しよう。
本の売買のみが古本屋の仕事ではない。客の本さがしもひきうける、と書き「めがねをかけた犬がですね、鉄砲をうつのです」・・・「言葉をしゃべりましてね」・・・「額に、いや全身だったか黒いペンキをぬっていましてね」・・・「立派な本でしたよ。布表紙で箱に入って」という会話から、田川水泡のマンガ「のらくろ」だと一週間後に判明した話。
出久根さんは、そのお客が元大学教授で量子力学の本ばかり買う人だからマンガには思い及ばなかった、と残念そうに書いている。
ちなみに、私はこのマンガを読んだことはないが、直ぐに「のらくろ」に思い至った。
「サンズの川はご存知ですね」・・・「子供たちが歌をうたってますよね。ひとえ積んでは父のため、って聞いた覚えありませんか」、「あります、あります。確か、ふたえ積んでは母のため・・・」、「その歌の全文を知りたいんですが、なんという本にでてますかしら」
出久根さんは仏教書、民俗学の本や数え歌や俗謡全集にあたったが、見付からない。地獄の研究書にもない。3日かかって歌の正体が「和讃」であるのをつきとめた。新書版の通俗仏教書に出ていたという。
この本の売値は100円だった。「客には大層喜ばれたが、儲けだけを考えたら、この商売やれるものではない」と出久根さんは書いている。
この依頼内容について、「ひとえ積んでは父のため」という言葉は何かの小説で読んだ記憶が朧げにあるが、私にはそれ以上の知識はなかった。試しにグーグルの検索欄に「ひとえ積んでは父のため」と打ち込んでみた。一発で「西院河原地蔵和讃 (賽の河原地蔵和讃)」が現れた。
グーグル先生がかなりのことまで教えてくれる世になり、便利なことこの上ないが、いろいろと想像を巡らせ、知識を総動員して調べることに郷愁を抱く私は、多分時代遅れなのだろう。