白い歯の美しい女の子

「白い歯の美しい女の子」

KEI(2021年10月6日)

 過日掲載いただいた「路上の文字」で、本を構成している文字について書いた。今回は同じく本を構成する文や文章についてちょっと考えてみようと思う。
「白い歯の美しい女の子」は女それとも男? 絵に描くとするとどのような絵になるだろうか?
 普通には歯磨製品のコマーシャルに出て来るような、“白い歯がキラキラ光っている少女”を連想する。しかし、他の読み方はないだろうか。“白い歯の美しい女”がいてその“子”と読むことも可能である。この場合の“子”は男か女かは分からない。また、美しいのは“歯“でなく“顔”である可能性もある。慎重に読んでみると8通りの読み方ができる。
 私が、この文に最初に出会ったのは、遥か昔のこと。岩波書店発行のロゲルギスト著「第四 物理の散歩道」であり、続いて木下是雄著「理科系の作文技術」(中公新書、ここでは「黒い目のきれいな女の子」が例にあげられている)であった。いずれも理科系の人物が著者である。
 その後、文科系の著者である田中齋治・上野幹夫両氏の「契約意識と文章表現」「契約文章読本」(いずれも東京布井出版)にもこの例があることを知った。
 一つの文が8通りに読まれては大変である。読点を活用したり、語順を変えたり、説明を入れたりして一義的な意味を持つ文あるいは文章に構成する必要がある。
 サマセット・モームは「作家の手帳」の中で「同じ文章が二人の人に対して、同じ影響を与えるものとは決して言えない」趣旨を書いている。作家はこのように言うが、日常のコミュニケーションの場では、「同じ影響を与える文章」「一義的な意味を持つ文章」を書くように努力すべきだろう。
 新聞や雑誌を読んでいて「ん?」と思うことがときどきある。前後の文章から意味を汲み取ることができることが多いが、疑問が最後まで残るということも偶に経験する。また、事実と意見の区別が明確にされていない文章が目に付くこともある。
 私はSNSはやっていないが、引用されているSNSの文章を見て首を傾けることもある。短い文章で短時間に意図するところをきっちりと書くということは難しいのだろうが、やはり注意深く文章を構成すべきだとは思う。電子メールでも同じだろう。
 3年ほど前だっただろうか、私がメンバーになっているスポーツ・クラブのスカッシュ・コートの前で顔見知りの大学院生がコートの順番を待ちながら「理科系の作文技術」を読んでいた。「珍しい本を読んでいるね」と声をかけたところ「今、論文を書いているのでその参考に」と答えた。40年近く前に出版された本だが、現在でも版を重ね、後進の参考になっているのを知って嬉しく思った。
 自己を省みることなく、偉そうにこのような文章を書いてしまった。「ああ、恥ずかしい」