食通知ったかぶり

食通知ったかぶり

KEI(2019年8月21日)

 食べ物の味を表現することはとても難しい、というよりも私は適切にその味を表現することはできない。
 私自身、美味しいものは美味しく、そうでないものも美味しくいただくというのをモットーにしているが、それでも美味しいものは判る。同じように見えても味の深みというか洗練されたものがある場合は舌が教えてくれる。しかし、それを言葉や文章で表現することはできない。
 食べ物の味を文章で伝えることが如何に難しいかについて、かつて与謝野晶子は弟子たちに「食べものの味のことを歌に詠むのはむずかしいからおよしなさい」と教えたそうだ。この話は、丸谷才一の「食通知ったかぶり」の「あとがき」に書かれている。
 ここまで書いたときに、「舟を編む」(三浦しをん)の主人公の妻の女性板前が言った「料理の感想に、複雑な言葉は必要ありません。『おいしい』の一言や、召し上がったときの表情だけで、私たち板前は報われたと感じるのです」を思い出した。
 食べ物の味を、おいしいの一言で済ますか、難しいのを承知で文章で伝えるか。「食通知ったかぶり」は見事に、言葉によってものの味を伝えている。
 丸谷は「主たる関心はあくまでも言葉によってどれだけものの味を追へるかということにあった」と書いているが、完璧な、そしてこれ以上はない表現により読者に味を教えてくれる。例を挙げようかとも思ったが、枚挙に遑(いとま)がないので諦めることとする。
 そして「読者はこれを今の日本(1975年)の料理屋評判記と受け取って差し支えない」と書く一方で「活眼をもってこれを見れば、どの店では何を注文しないほうがいいかといふことまで、はっきり判るはずである」とあとがきで文章の冴えを誇っている。
 随所に博識が溢れ、文明批評が顔を出す読んで楽しい一冊である。先般、京都駅にほど近い居酒屋で一杯機嫌で友人に「絶版かも分からないが」とこの本を勧めたところ、文庫化されていて購入したという。感想は未だ聞いていない。