図書館職員の推薦本
最近頓に長編小説を読む忍耐力が無くなったようだ。「フーコーの振り子」や評判の高い亀山郁夫新訳の「カラマーゾフの兄弟」などはすぐ手が届くところに置いてあるのだが、読みかけの状態で時間だけが過ぎている。手に取る本はエッセイ集や短編物語を集めたものとなってきた。結果的には全ての頁に目を通すことになるのだが、どこから読んでもいいような内容の本を手に取ることが多い。
図書館メールマガジンの「図書館職員が今までの読書体験の中から紹介する珠玉の1冊!」欄で「本にまつわる世界のことば」(温又柔他6人、創元社)が紹介されていた。どうも私の最近の読書傾向に合致しているように思い予約した。
推薦者はこの本を次のような文章で紹介している。
図書館メールマガジンの「図書館職員が今までの読書体験の中から紹介する珠玉の1冊!」欄で「本にまつわる世界のことば」(温又柔他6人、創元社)が紹介されていた。どうも私の最近の読書傾向に合致しているように思い予約した。
推薦者はこの本を次のような文章で紹介している。
本が好きな人に捧げたい一冊です。本や読書にまつわる世界のことばや慣用句、ことわざを全部で 49 個、カラーイラストとともに紹介する他、7人の作家や翻訳家などによるショートストーリーやエッセイもついた贅沢なつくりです。アラビア語やチェコ語など様々な言語のことばが出てきて、世界中の愛書家の存在を感じ、嬉しくなります。近頃よく耳にする「積ん読(つんどく)」は、日本語独特の表現だそう。どのページを開いても楽しめます。(ひ)
借り出した本は、ハードカバーで、正方形に近い長方形をしており、各頁にカラフルな絵というかイラストが掲載され、一見子供を対象とする本と見紛うような造りであった。頁数は100、意識的に作られた空白部分も多い。
推薦者の言葉どおり「本や読書にまつわる世界のことばや慣用句、ことわざ」が書かれているものの、原語とその翻訳、意訳が2~3行で書かれているだけである。
日本語で選ばれているのは「活字離れ」「ななめ読み」「積ん読」であり、「活字離れ」はともかく、後二者については最近の私自身の姿を見ているように思った。「積ん読」では「『本を溜め込む人』としては、英語では“book hoarder”という表現があるが、目下“tsundoku”も市民権を得つつある」と書かれていた。
ペルシャ語の「ハルハーン」は「本を濫読する人。がり勉。直訳では『ロバ読み』」、スペイン語の「レトラエリード」は「直訳では『傷を負った文字』で愛書家」、ロシア語の「ブクヴォエード」は「本の虫。直訳では『文字を食べる』。内容ではなく文字や形式にこだわる人を皮肉る場合につかうこともある」という具合にいろんな言葉とそれについての簡単な説明が書かれているが、意地の悪い人なら「それがどうした」「それから?」と反応するかも知れない。
そしてこれらの言葉に付されている1~2頁の「ショートストーリーやエッセイ」も7人の作者それぞれの思い入れは解るものの、最近感性が鈍くなっていると自認している私について言えば作者それぞれの意図を十分に理解したとは言えない。推薦者は「どの頁を開いても楽しめます」と言うが、私にとっては「?」だった。
推薦者の顔を立てたわけではないが、最終的には全ての頁に目を通す結果となった。しかし、最後までこの本の性格や本自体を理解することができなかった。理由は何なのか、私の理解力が乏しくかつ時代遅れになってしまったのだろうと結論付けたが、いろんな意味で少し寂しく残念ではある。
推薦者の言葉どおり「本や読書にまつわる世界のことばや慣用句、ことわざ」が書かれているものの、原語とその翻訳、意訳が2~3行で書かれているだけである。
日本語で選ばれているのは「活字離れ」「ななめ読み」「積ん読」であり、「活字離れ」はともかく、後二者については最近の私自身の姿を見ているように思った。「積ん読」では「『本を溜め込む人』としては、英語では“book hoarder”という表現があるが、目下“tsundoku”も市民権を得つつある」と書かれていた。
ペルシャ語の「ハルハーン」は「本を濫読する人。がり勉。直訳では『ロバ読み』」、スペイン語の「レトラエリード」は「直訳では『傷を負った文字』で愛書家」、ロシア語の「ブクヴォエード」は「本の虫。直訳では『文字を食べる』。内容ではなく文字や形式にこだわる人を皮肉る場合につかうこともある」という具合にいろんな言葉とそれについての簡単な説明が書かれているが、意地の悪い人なら「それがどうした」「それから?」と反応するかも知れない。
そしてこれらの言葉に付されている1~2頁の「ショートストーリーやエッセイ」も7人の作者それぞれの思い入れは解るものの、最近感性が鈍くなっていると自認している私について言えば作者それぞれの意図を十分に理解したとは言えない。推薦者は「どの頁を開いても楽しめます」と言うが、私にとっては「?」だった。
推薦者の顔を立てたわけではないが、最終的には全ての頁に目を通す結果となった。しかし、最後までこの本の性格や本自体を理解することができなかった。理由は何なのか、私の理解力が乏しくかつ時代遅れになってしまったのだろうと結論付けたが、いろんな意味で少し寂しく残念ではある。