名作の翻訳とは
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」鴻巣友季子訳を手にとる。以前に他既訳を読んだが細部を覚えていない。おそらくその頃の私には難解だったのであろう。日本初訳は葛川篤氏(詩と詩論)、中村佐喜子氏(新潮文庫)、御輿哲也氏(岩波文庫)鴻巣氏翻訳は改めて新潮文庫から。そして葛川氏の翻訳が復刊(作家の手帖)など名だたる方々がおられる。
数々の解説がなされており文芸評論のようには書けない。私が私ごとのように親近感を覚えたところを書いてみた。
3部からなる
第1部「窓」
「人間同士というのはただでさえ違うところばかりなのにわざわざ相違点をほじくりだすなんて。もって生まれた違いだけで充分じゃないの。本当に充分ですよ…」ラムジー夫人の心のことばである。目の前で珈琲と金柑ケーキを食べている最も私の身近な人に、今先の会話で腹を立ててしまった。いやいやラムジー夫人の「人間同士というのは…」を反復すれば、そのことばを流すことができると学んだばかりではないか。ラムジー家の末息子は翌朝灯台へ行けるか行けないか大人の判断に惑わされ内心ご立腹だ。わかるわかるその気持ち。大人はわかってくれない…時がある。
そして短いが重要な
第2部「時はゆく」
人が去り住んでいない部屋を風が流れる。この微風の表現は素晴らしい。「風たちが壁をなめらかに撫でながら、想いめぐらすように行きすぎるさまは…」長くなるので書くことはしないが、風とやりとりをし、しまいに風にため息をもらす。ラムジー夫人と子どもの2人はもういない。決して帰ってこない世界に行ってしまった。誰もいない部屋に灯台からも明かりが気まぐれに刺しこむ。風と絡む明かり。このような箇所も私は覚えていない。
最後は映画で言うメイル・ゲイズか
第3部「灯台」
ラムジー氏が夫人と交流のあった画家のリリーになにやら言いたいようす。2人の会話をそらす何かを待つリリーが発したことばは現実的だ。全く関連のない話しを始めてしまう。目にした物を褒めるのだ。しかしたいがい相手もその話しに合わせて褒められたことに自然と流れる。きっと良い気分になるのだろう。そうだ。「人(物)を褒める」どんなに気詰まりな場面でもひとまずは褒めよう。
(※メイル・ゲイズ:映画撮影など男性のまなざしで描くこととある)
名作である。が、なぜか身近に置きかえることができた「灯台へ」。読み手の家族構成や年齢により愛おしい作品になることは間違いない。