探検家の冒険論

探検家の冒険論

M・M(2025年5月7日)

青紅葉

「冒険」とは危険や不確実性を承知の上で、新しい体験や目標に向かって挑戦することのようだ。検索をするとそのように出てくる。最近、日常生活の左右への進み具合も、ささやかな冒険ではないかと考えてみて探検家の本を読んでいる。

 探検家の書いた内容は真に冒険である。右脚左脚の一歩がゆく手を決めるのだから。著者の書いた数冊の本の中には重複する内容もあるが、これは … と思う箇所があり、反復した。

 そこには、極夜行の冒険のゴール地点に見た太陽(光)のことが書いてある。探検家自身の幼少期の夢とからめて、その夢の記憶の原風景の映像が重なり解き明かされたと。

 あまりにも抽象的な夢で、必ずうなされて目を覚ますも、幼い頃は親に説明もできず、そのうちそのような夢も見なくなり思い出すこともなくなった。

 その夢の内容とは …

 じつに奇妙な夢で、私はうにゅうにゅとした質感のチューブのような異次元空間の内部にいて、それを内側から見ており、そして、そのうにゅうにゅとしたチューブ状空間自体が前方から回転するようにうねり、迫ってきて、ひたすら私を押しつぶすように圧迫するという …

 延々と続く夢にぞわぞわとしうなされて目を覚す … そうだ。

 その夢が何であったか解き明かされたことをふたつの光とともに書いてある。
 ひとつは極夜が明けて太陽を観た時の感動とともにの光、もうひとつは自身の子どもが産まれた直後に眩しそうに目を細めたようすの光。

 最初の太陽を観た感想とは …

 その太陽は巨大に丸かった。唖然とするほど巨大だった。ごうごうと燃えさかる火の玉に見えたのだ。大きくて、温かくて、圧倒的で、信じられないほど丸々とした美しい太陽が真正面から金色の光を私に注いでいた …

 そして自身の子どものようす …

 ついに下界に出生したとき、人間は初めて光を浴びる。光を見ることですべてが始まる。人間にとって光とは出生経験の再来であり、不安と恐怖からの解放であり、だからこそ希望の象徴にもなっているのだ。光に無言の情景をおぼえるのも、世界中の神話で闇と光と再生のモチーフとして語られてきたのも、すべて出生時の壮大な光景とインパクトの記憶が刻みこまれているにちがいない …

 探検家は極夜という現象(光のない)に惹きつけられてきた謎が解けた気がしたそうだ。深層心理に眠る出生の記憶が、この旅に向かわせたのだそう。

 最近、人の生きざまは「冒険」ではないかと思っている。日頃の生活の中に大きな危険はないかもしれないが、ないとは言えない。探検家ののべた上記の箇所は、私の心に響いた。人は皆生まれながらに「冒険」を経ている。そして長い長い冒険生活をおくっている。

 とても大きなことを書いたような気がして外を見る。広々とした庭先で悠々と泳ぐ鯉のぼりを思い出した。