「エストニア紀行」とウォーレンバーグ

「エストニア紀行」とウォーレンバーグ

啓(2024年4月17日)

 新潮社から「エストニア紀行」という本が発行されている。正式な書名は「エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」といい、著者は私にとっては初めてお目にかかる梨木香歩という女性である。 1956 年生まれの児童文学作家と紹介されていた。
 思い入れが詰まった文章が並び、文体も私の趣味には合わないが、好きな人にとっては心地よいだろう。紀行と名付けられているようにエストニア全土を通訳とカメラマンとコーディネーターの4人で2週間ほど(と思われる)旅行をした記録である。
 首都タリンの旧市街にある地下通路や歌の原(エストニアの独立回復を牽引した“歌う革命”の舞台)の訪問記、ヴォルにある森やその近郊村での茸や蜂蜜の話、バルヌのホテルでの怪談話、キヒヌ島、ムフ島やサーレマー島の昔ながらの生活風景などが書き連ねられている。白コウノトリを見ることが出来なかったことについても、著者たちがエストニアの空港に降り立った翌日に吹いた強い北風に乗って南へと旅立ったと、頁を費やしている(白コウノトリは、われわれが普通にコウノトリといっている鳥のようだ)。環境やそれとの関係で植物や鳥に深い関心を持っている人らしく、そこかしこに私の知らない知識が披露されていた。
 この本で知ったことにブダペスト領事館駐在のスウェーデン公使ラウル・ウォーレンバーグがある。彼も杉原千畝やオスカー・シンドラーと同じようにユダヤ人の保護に全力を尽くしている。彼はユダヤ人をスウェーデンの保護下に置くための保護証書を(この文書自体は国際法的には全く意味のない文書であったが)発給し続け10万人に及ぶユダヤ人を救い出した。最後はスパイ容疑でソビエトに連行され行方不明になっている。
 ラウル・ウォーレンバーグのその後について、手元の 2016 3 30 日の産経新聞朝刊では「 10 万人のユダヤ人を救った『スウェーデンの杉原千畝』 71年前に消息絶った外交官の死亡認定へ」との見出しのもと次のように報じている。

  • ロイター通信によると、スウェーデンの税務当局は29日、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチス・ドイツの迫害から救い、約 71 年前に行方不明となったスウェーデンの外交官ラウル・ウォーレンバーグ氏について、財産管理人から死亡認定申請があり、半年後の今秋にも死亡が確認される可能性があることを明らかにした。
  • ウォーレンバーグに救われたユダヤ人ら(は)、戦後「国際ウォーレンバーグ協会」を設立して手掛かりを求め(てい)た。
  • (行方不明後の彼の)生死は不明で(彼は)「墓場なき英雄」と称されている。
  • 1996 年にはイスラエル政府がユダヤ人を救済した功績をたたえて、日本人外交官・杉原千畝と同じく(彼に)ヤド・ヴァシエム賞を贈った。 1979 年にイスラエルで(彼の)顕彰碑が造られた。