香薬師

香薬師

啓(2024年1月10日)

 ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
 処分対象とした何冊かの古い文庫本の中から現れた「自註鹿鳴集」(会津八一、新潮文庫)にはこの歌が掲載された頁にだけ付箋が貼られていた。いつ貼ったか、どのような理由で貼ったか、は全く覚えていない。
 ただ会津八一のこの本は 20 代前半に買ったことと、何か淋しくなったとき気持ちが衰えたと感じたときに手に取り、適当なところから適当に読み始めたことだけは漠然と記憶している。こころが高揚している時に手に取った記憶はないが、ひょっとしたら奈良の社寺を訪れるときに車中での無聊を慰めるために持って行ったこともあるかも知れない。
 この本には昭和二十八年に会津八一自身の手によりなされた注釈が一首ごとに記載されている。前掲の歌には「あふぎみれども・高さ二尺四寸の立像にして、決して高しとはいふべからざるも、薬師堂の正面の壇上に、やや高く台座を据ゑたれば、『仰ぎ見る』とは詠めるなり。……」との自註がある。
 この歌の直前に置かれているのは「香薬師を拝して」と題された「みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし」であり、その自註は「香薬師・奈良時代前期と思しき形式を、その製作の細部に有する小像にて、傑作の名高かりしを、昭和十八年(1943)第三回目の盗難に罹りたるままにて、遂に再び世に出で来たらず。惜みても余りあり……うつらまなこ・何所を見るともなく、何を思ふともなく、うつら、うつらとしたる目つき、これこの像の最も著しき特色なり。……」である。
 これらの歌が納められた「南京新唱」には「明治四十一年八月より大正十三年に至る」とあることから会津八一がこれらの歌を詠んだ頃は香薬師は本堂におわしたことが解る。その後自註が書かれた時点までの間に盗難にあった。
 私は平成25年3月に古道歩きの友人たちとこのお寺を訪れ、国宝の薬師如来坐像や十二神将像を拝観しているが、そこには明治23年、明治44年、昭和13年と三度の盗難に遭っている香薬師の姿はなかった。現在では右手だけが戻ってきており、偶に拝観の機会があるそうだ。
 この香薬師像の盗難については「香薬師像の右手~失われたみほとけの行方~」(貴田正子、講談社)というノンフィクションがあることまでは調べたが、読む気力が続くかどうか、最近視力が頓に衰えたこともあり態度を決めかねている。「奈良歴史漫歩 117 新薬師寺・香薬師像の三度の盗難と戻ってきた右手」と題するブログで詳述されているこの本の要旨を読んで満足することにしようか。