寛容と忍耐

寛容と忍耐
muca(2026年6月17日)

 借りたからには、無駄だったと思うのは残念だ。なので少しでも辛抱したい。
 この著者の本は、見つけたら読むというくらい期待外れがなかったはずなのだが、それでもこの短編集を一篇読み終わる度に唖然としたのである。
 普通の正義感を持った弁護士が軽快に、さほど困難ではないいくつもの事件を解決していく … つもりで読み始め、先ず最初の一篇で仰天した。

 いずれも殺人事件の容疑者(の身内の場合もある)が、弁護の余地がまったくないような殺人事件の依頼をしにやってくる。「殺ってしまった」と言いかけるのを制して、「いいえ、あなたは無実です」と言い切る。告白しかけた者が、もしかしたら自分は無実かも?と信じそうになるほど、詭弁を弄するエイレングラフ。

 裁判で無罪を勝ち取るのではなく、“裁判すら開始されないうちに、被告が犯人ではないことが明らかになる” ことを実現するのが彼のやり方。実は他者が犯人だったという証拠が出てくるか、被告が収容されている間に、それに酷似した犯罪が発生する事態になり、依頼人は放免となる。

 いくら凡庸な頭の私でも、被告人が間違いなく有罪であることを示していた全ての証拠が、この弁護士の画策で霧散してしまったことがはっきり分かるように書かれている。
 エイレングラフが具体的にどういう方法で誤魔化したのかは一切書かれていない。ただ、あったことをなかったことにした結果だけを読まされる私。
 この弁護士が、奸智の限りを尽くした結果、被告が犯人であるはずがないということになり、裁判さえも行われない(真犯人にされた者が都合よく自殺という状態で発見されることが再々起こる)。

 エイレングラフが何を具体的にどうしたかは一つも書かれず、読者は結果だけを読まされている、笑えるほどのあっけらかんとした個々の結末である。

 予め弁護料を払う必要はなく、無罪になった場合だけ(高額な)成功報酬をいただくという約束なので(書類などは交わさない)、手の打ちようがなくなった時は、なんの負い目も感じずに途中で放り出せると私は思う。けれど、そういうことならと、この弁護士を頼る者ばかりなのである。ローレンス・ブロックは、依頼人が抱くこういう疑念、不安というのをまともに考えたことがあるのかと、不思議な私。

 首を傾げながら最後まで読み、中には依頼してきた真犯人が、弁護によるのではなく、偶然にこういう幸運な結果になったのだと思い込み(そんなバカがいるはずがないと私は思うが)、報酬額を大きく値切ったり払わずに済まし、手痛いしっぺ返しを食らうというところが、面白いと言えるかなと思った私。寛容と忍耐を醸成してくれた本だった。