作者の願い

作者の願い
M・M(2026年7月8日)

 サミュエル・ベケットが世に出すことを望んでいなかった本。
 しかし、重なり合う人々の思惑困惑で世に出てしまった。
 その当時にもっと早く刊行されていれば、世紀の大ベストセラーだったかも・・・と言う。
 逆もしかり。

 その本(戯曲)を読んでみる。
 新訳ベケット戯曲全集4「エレウテリア」

 まず、ベケットの作品は代表作の「ゴドーを待ちながら」しか知らない。
 これは、演劇の舞台、映画の作品の劇中劇で鑑賞したことはある。
 日本の現代演劇、世界中の演劇と、あまりにも有名な作品だ。

 米国の出版社B社のトップになったB氏が、B出版社を解雇される。
 B氏は捏造してまでも「エレウテリア」の版権を獲得して、世にだそうとする。
 仏国の出版社でベケットの作品を長年刊行していたJ氏はこのB氏の要望を拒否する。
 J氏はベケットの遺産継承者とつながっているので、丁重に要望に応じることができないと伝える。
 新訳で上演を決めたりと先手をうち、食い下がるB氏。そのつど許可を拒否するJ氏。
 正規の力関係においてはJ氏の他にいない。
 中略・・・結局B氏はメディアと組んで出版の計画を押し進める。J氏が法的手段に訴える様なら … と騒ぎ立てるB氏。最終的にオリジナルの言語で作品を出版する必要にせまられたJ氏。J氏とベケットの信頼関係を守るため。また、この作品「エレウテリア」を守るために。以下 はしがきより

 これを書いている現在、アメリカの人々がどのような形で「エレウテリア」を知ることになるのか私にはわかりません。本書は、サミュエル・ベケットが望んだものではなかったという点を除けば、そっくり彼が書いたままのものです。彼が生前に刊行した30冊の素晴らしい本を愛してきたみなさんのご寛恕(かんじょ)を乞うばかりです。これまでサミュエル・ベケットの作品を読んだことがなく、この「エレウテリア」で初めてベケットを読むという新しい読者もきっといるはずです。どうかここで足を止めず先に進まんことを … ジェローム・ランドン

「エレウテリア」… ※ギリシャ語で自由の意
 場所 … パリ、時 … 冬の連続する3日間の午後
 登場人物 … 父母、その息子V、父母の友人、博士、母の妹、息子Vの婚約者、ガラス屋、その息子M、観客、拷問人、息子の宿の大家、父母の使用人、使用人の婚約者、母の妹の運転手、ボディーガード

 作者が世に出すことを望まなかった本(戯曲)。
 ガラス屋が劇の終わりに言ったセリフが笑える。

「一周まわって結局ここかよ。(間)俺は何を望んでいたんだろうな」ガラス屋に言わせたその前のその息子Vのセリフ「考えを変えたんだ。二年なんて少なすぎる。人生なんて短すぎる。… 僕は決して自由にはなれないでしょうね。実感は得られるでしょうが … 省略」

 翻訳した小野正嗣氏は作品と翻訳についての項で、

 この作品がベケットによって厳しい評価を下されたことは間違いないようだが、作者の手を離れた瞬間から作品は読者のものだという考え方もある。大切なのは、いまこの作品を読んでいるわたしの心に何かが響いたり引っかかったりする感触が得られるということだ。その感触を大事にしたい。

と述べている。

 この作品の「自由」とは …。本当の自由には決まりやある種のワクがあるのではと思う。その内で自分で自由を感じなくては。その息子Vは「わからない」と言う。ガラス屋とその息子Vのセリフを延々と続けると何周まわってもお手上げだ。ガラス屋の息子Mは病気なので、用事が終われば急いで家に帰らなくてはならない。時間の流れや空気感が異なっている。

 ベケットの意ではなかったと思うが、さらには舞台が上演されたなら観に行きたいと思う。
 ガラス屋は誰が演じるだろうか。