最近は仲間内のブログをホームページに移行するための準備に追われ、時間の余裕があまりないのである。ブログは記事をアップロードしやすいので、投稿してくださる方がホームページに移行したときに悩まないよう、作業をできるだけ簡単にするための試行錯誤に没頭しているのだ。
絵の材料になる風景を求めて韓国に旅行してきた、バンド・デシネ作家のフランス人・ケランが宿を求めてやってくる(バンド・デシネとは、私の大雑把な理解では「絵物語」のようなものか)。
束草は、韓国の北方、北緯38度より北で、日本海に面していることをサイトの地図で知る。この本には私には想像できないほどの寒そうな冬が書かれている。
老人が経営する旅館で働く二十代前半の(名前は書いてなかった)女性がケランの応対をする場面が私にはクールに思えて面白い。宿帳のようなものに書くのを娘に任せ、サインの部分だけを彼は書く。
娘はケランに興味はあるものの、べたべたとつきまとうわけではない。宿で出す食事は娘が担当するのだが、ケランには合わないようで(私にも合わない気がする)、彼は自分が外で買ってきたものしか食べない。娘が作った料理は放置されてばかりだが、娘がそれを気にしているようには書かれていない。娘も最初のうちは彼を面倒な男と思っていたようだが、そのうちに気にならなくなり、逆に関心が高まっていく。
宿泊客の中に一人、整形手術をしたばかりの女性がいて、顔に包帯を巻いている。これは特別な想定なのかと思ったが、(少なくとも当時の)韓国では、美容整形が多いらしくて、作者デュサパンは女性の健康に悪影響があると危惧していたと訳者のあとがきにあった。こういう背景はあとがきによって初めて知るのだが、それを読んでからもう一度、どのような触れ方がしてあったのだろうと考えさせられるのは、私の感度に問題があるのかと思う。
ある日は、ケランに国境付近へ(絵の材料にするのか)行きたいと言われ、娘は自分の車に乗せてつきあうなど、娘は特に彼と親しくなりたいわけでもないけれど、興味を持っていることが随所に書かれている。娘もケランも自分が何を考えているかを相手に言わないので、それが私には緊張感になる。
やがてケランが去る日になるのだが、別れが淡々と書かれているようでいて、束草に生まれ、束草に居続ける娘の胸中を想像させられるような余韻がある。
作者エリザ・スア・デュサパンはフランス人の父と韓国人の母を持つが、韓国を訪れたときの経験をもとに高校3年の頃から書き始めたらしい。表紙の寒そうな風景と雪、岸辺に立つ二人の小さな絵に惹かれて借りたのである。