「美しい地球」と「花と緑と自然」
麻(2026年4月1日)
大阪の夢洲で2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が、「いのち輝く未来社会のデザイン」(Designing Future Society for Our Lives)をテーマに、未来社会の実験場(People’s Living Lab)をコンセプトに開かれ、日本国内のみならず世界各国から多くの人が訪れましたが、大阪では過去にも1970年に日本国際博覧会(大阪万博)、1990年に国際花と緑の博覧会(花博)が開催されていました。いずれの博覧会も大きな話題になり多くの人が見学に訪れました。私たち夫婦もその例に洩れず、双方の博覧会を見ています。また、直近の大阪・関西万博へは開催日から約1ヶ月後に会場を訪れ、大屋根リングを一周し、幾つかの(予約不要の)パビリオンに入り、ポーランドのレストランで食事をし、万博気分を満喫しました。
いま手元には、1990年花博のテーマ館の一つであった花博写真美術館で購入した「EARTHSCAPE美しい地球」という海外写真家の(ほとんどが)モノクロームの写真集と「花と緑と自然」という国内写真家によるカラー写真集があります。絵画展の図録がそうであるようにこの2冊にも価格は記載されていません。買ったときは(たぶん)全体を一通り眺めてそのまま書棚に移したのでしょう。今回、処分に先立って丁寧に眺めていろいろと感じたことでした。
黒い背景に蘭の花を浮き出させた「ラン花 “いのちあるもののすがた” 」と題された5点の作品には「自然の英知が与えた “いのち” は、全てのものに等しく配分されていると考えなければ地球が危機にさらされる。これを実証してみせるのが写真である」とのキャプションが添えられていました。二つの文章の繋がりは私には理解できませんが、最初の文章で言われていることはそのとおりだろうと思いました。また「花」とのタイトルのもと6点が掲載されている写真家は「旅先で、仕事のあい間に、ふと、花にカメラを向けている。ほとんど無意識の行為である。心の底で、いつも自然に還りたがっているからかもしれない」と書いていました。「ふと○○にカメラを向けている。ほとんど無意識の行為である」には頷けるものがありました。
いま手元には、1990年花博のテーマ館の一つであった花博写真美術館で購入した「EARTHSCAPE美しい地球」という海外写真家の(ほとんどが)モノクロームの写真集と「花と緑と自然」という国内写真家によるカラー写真集があります。絵画展の図録がそうであるようにこの2冊にも価格は記載されていません。買ったときは(たぶん)全体を一通り眺めてそのまま書棚に移したのでしょう。今回、処分に先立って丁寧に眺めていろいろと感じたことでした。
「美しい地球」では生命と地球のイメージが64人の写真家により丁寧に画面に定着されています。1910年頃から1980年頃までの写真です。それは自然の発見であったり、人間と環境の関わり合いであったり、風景と言う言葉を超えて心に迫りくる何物かであったり、対象はそれぞれでありながら撮影者のこころを写していたり、過去の風景観や自然観から抜け出したイメージだったり、それぞれ面白く眺めたことです。抽象画を想起させる写真もありました。大型のフィルムカメラを使っての丁寧な繊細な仕事のなせる業だと感じたことです。
「花と緑と自然」では私も作品を通してよく知っている何人かを含め日本の写真家36人の写真が掲載されていました。これら作品を順不同に眺めながら「もしこの世に花や緑や自然がなかったら、私たちはどのような心理状態になるのだろう」「無機質な都会の風景もそれなりに美しいが、それだけでは何か心が満たされない、虚ろな気持ちになるのでは」などと思ったことでした。
黒い背景に蘭の花を浮き出させた「ラン花 “いのちあるもののすがた” 」と題された5点の作品には「自然の英知が与えた “いのち” は、全てのものに等しく配分されていると考えなければ地球が危機にさらされる。これを実証してみせるのが写真である」とのキャプションが添えられていました。二つの文章の繋がりは私には理解できませんが、最初の文章で言われていることはそのとおりだろうと思いました。また「花」とのタイトルのもと6点が掲載されている写真家は「旅先で、仕事のあい間に、ふと、花にカメラを向けている。ほとんど無意識の行為である。心の底で、いつも自然に還りたがっているからかもしれない」と書いていました。「ふと○○にカメラを向けている。ほとんど無意識の行為である」には頷けるものがありました。
この二冊の写真集の中の好きな写真を切り取りフォトフレームに入れて机の前の壁に飾ろうかと思いましたが、それなら本のまま保存しておく方が良い、と思い直し、二冊の本は元の位置に戻すことにしました。