「悪魔の辞典」

「悪魔の辞典」
麻(2026年4月22日)

 広辞苑が、“ことばを集め、一定の順序に並べ、その読み方・意義・語原・用例などを解説した書” と定義している辞典にもいろいろあります。漢和辞典、現代語辞典、外来語辞典、古語辞典、隠語辞典などなど。これもその一つと数えればいいのでしょうか、「悪魔の辞典」(アンブローズ・ビアス著、西川正身選訳、岩波書店)という本があります。私が若かりし頃に買った瀟洒な装丁の箱入り200頁足らずの本です。現在でも読まれているのかどうかは知りません。
 著者は「甘口の酒よりは辛口の酒を、感傷よりは分別を、ユーモアよりは機知を、俗語よりは品のある英語を、むしろとろうと考える賢明な人びと」に読んでいただきたいと言っています。原本では見出し語は約1,000語あるそうですが、その訳本であるこの本では400語強が選ばれています。

 ここで私が気に入った幾つかの言葉とその解釈、説明を取り上げ、話題にしようと思い、頁を繰ったのですが「はた」と思い止まりました。
 ビアスがここに書き、解説するどの言葉を選んでも、それを選んだこと自体が私の考え方、大袈裟に言えば思想が関連していると受け取られかねない、という危惧があります。と言っても例を挙げない限り、この本の面白さを伝えることはできません。そこで出来るだけ穏当な説明がなされていると思われる言葉、あるいは現代でも偶に見かける解釈がなされていると思われる用語を選ぶこととしました。

鼻(Nose)〔名詞〕
 人間の顔の最前哨地点。ゲティウスは、ユーモアが解せる時代以前に著述を公にした人だが、偉大な征服者がすべて偉大な鼻を所有するところから、鼻を指して殺戮の器官と呼んでいる。われわれは、他人の事に鼻をつっこむ時ほど、大きな満足を覚えることはないとは、昔から誰もが気づいているところであるが、この事実から、生理学者の中には、鼻は嗅覚を欠く、と推論した者がいる。

 なるほど。鼻は「人間の顔の最前哨地点」ですか。大阪には「おたやん(お多福)こけてもはな(鼻)うたん‥‥‥」という里謡もあるなあ、と思いながら読みました。ゲティウス・レナトゥスは4世紀頃のローマ帝国の軍事学者だとか。

 また、Cで始まる言葉には次のような説明もあります。

慰め(Consolation)〔名詞〕
 自分よりすぐれた者が、実は自分よりかえって不仕合わせでいると知ること。
相談する(Consult)〔名詞〕
 すでに取ろうとし自分で決意した行動にたいして、改めて他人の賛意を得ようとする。
軽蔑(Contempt)〔名詞〕
 下手に反抗しようものなら、ただではすみそうもない手ごわい敵にたいして、慎重居士が胸にいだく感情。
会話(Conversation)〔名詞〕
 二流以下の連中が、お互いに自分の頭脳の中身を陳列し合う共進会。ただし、誰も彼も自分の商品を並べ立てるのに忙しく、隣人が並べてみせる商品を眺める余裕など、ぜんぜんないのが普通。

 これらについては、コメントをしないのが大人の態度かもしれません。ただ、いろんな場面で現れるこれらについての一面の真理を書いているようにも思われますがどうでしょうか。
 ただし、これらの定義の一部でも口に出すと、あるいはそれを推測させる何かを口にすると、楽しい会話はどこかへ飛んで行くに違いありません。悪魔の辞典の定義はあくまで悪魔の世界のものと心得て私たちは人間の世界で、広辞苑の定義に従う方が円滑に生活できることでしょう。

 本来ならここで『ラ・ロシュフコーの箴言集』や訳者が「確証はないので断言はできかねるが、『悪魔の辞典』が何らかの形で影響を与えていることも考えられる」と書いている芥川龍之介の『侏儒の言葉』を持ち出すべきかもしれませんが、耳学問以上の知識を持っていない私には下手をすると「坊主のはちまき」(その心は「耳で持っている」)と言われかねませんので、ここは避けてとおります。

 この本を再読し、私の心の中に最後に発生した個人的な疑問があります。この本の入手についての経緯です。遠い遠い昔の記憶ですが、この本は「大阪駅前にあった旭屋書店(当時)で買った」と信じていました。ところがこの本の裏表紙の裏には「弘文堂書店(浦和市駅前通り(本局前))と書かれた幅1㎝、長さ3㎝のこの本を販売した古書店を示す小さなシールが貼られているのです。私は浦和市を訪れたことは一度もありません。人から借りた、あるいは貰ったという記憶もありません。
 唯一考えられる可能性は、「浦和市の古書店でこの本を買った人物が私の住んでいる市に引っ越して来た。その後、私がよく行っていた古本屋に他の本と共にこの本を一括売却した。それを買った古本屋が売れそうもないゼロ円近い評価のこの本をそのまま店頭の「一冊○○円」と書かれた箱の中に放り込んだ。それを私が買った。旭屋書店で買ったというのは私の思い違い」というものですが、この推理あるいは想像は当たっているでしょうか。