寺町通221B
麻(2026年4月29日)
コナン・ドイル著の探偵シャーロック・ホームズ物語だけでなく、その数多くのパロディについても、日本国内で発行されたものは、そのほとんど全てを読んだ、と思っていました。ところが2024年1月に新しく「シャーロック・ホームズの凱旋」と言う472頁の本が中央公論社から発行されているのに気が付きました。著者は森見登美彦氏です。
前半約三分の二まではホームズはスランプに陥っており、それを解決できない状況になっています。このホームズのスランプについて、かつての宿敵、現在は友人であるモリアーティ教授の「名探偵シャーロック・ホームズと物理学者モリアーティ。謎を解くことにかけては何者にもひけを取らなかった私たちが、死力を尽くして取り組んできたというのに己のスランプという謎だけは解き明かすことができなかった。迷宮から這いだそうとすればするほど、かえって迷宮の奥深くへ入りこんでいく」という言葉がとても気になりました。
現代社会ではいろんな場面で「スランプ」が言われています。「その謎を解き明かす」ことには意味がありますが、「(そこから)這いだそうとすればするほど、かえって迷宮の奥深くへ入りこんでいく」というのは現代的な場面設定かも知れません。
と喜び、最終章である第五章の「シャーロック・ホームズの凱旋」を「ここで初めて昔のようなシャーロック・ホームズの活躍が見られる」と期待を込めて読み始めました。ところが、ここでも話は二転三転し、思いもかけない事態が描かれます。作者に翻弄されているようです。
私にはついて行くのが大変な小説でした。最後まで読み終えることが出来たのは、コナン・ドイル作の名著にあった事件の名称や登場人物さらには表現がここそこに表れており、それが昔を思い出させてくれたことが大きな理由だったと思われます。
直ぐに手に取ったのですが、今まで読んだパロディとは全く異なったものでした。舞台はビクトリア朝の京都、ホームズの住まいは寺町通221B、相棒ワトソンの診療所兼自宅は下鴨本通、京都警視庁にはスコットランド・ヤードとルビが振られている、移動するのは辻馬車、とホームズ物語大好き人間にはたまらなく楽しくなる設定です。登場する人物はハドソン夫人、レストレード警部、モリアーティ教授、アイリーン・アドラー、マスグレーヴ、メアリ・モースタン等々おなじみの人物です。そして、作中に現れる事件名やその際の誰彼の発言、描かれている場面などに、「あの話のあの時にあの人物によって発せられた言葉だ」「あの事件のときの情景だ」といちいち思い出しながら読んだことです。
私は今まで森見登美彦氏の作品を読んだことがなく、彼の作風も知らず、この著作を彼の作品中のどのようなところに位置づけするといったことはできません。単純にこの「シャーロック・ホームズの凱旋」だけを対象に思ったこと、感じたことを書いてみようと思います。
この作品については、換骨奪胎、オマージュ、新釈、パスティーシュ、真実と虚構の交錯などなどいろんな言葉が思いつきますが、これら全てを包含した意味合いを持っているのでしょう。
前半約三分の二まではホームズはスランプに陥っており、それを解決できない状況になっています。このホームズのスランプについて、かつての宿敵、現在は友人であるモリアーティ教授の「名探偵シャーロック・ホームズと物理学者モリアーティ。謎を解くことにかけては何者にもひけを取らなかった私たちが、死力を尽くして取り組んできたというのに己のスランプという謎だけは解き明かすことができなかった。迷宮から這いだそうとすればするほど、かえって迷宮の奥深くへ入りこんでいく」という言葉がとても気になりました。
現代社会ではいろんな場面で「スランプ」が言われています。「その謎を解き明かす」ことには意味がありますが、「(そこから)這いだそうとすればするほど、かえって迷宮の奥深くへ入りこんでいく」というのは現代的な場面設定かも知れません。
後半で作者は、スランプから復活したホームズを異世界のロンドンで活躍させることを考えます。ホームズが解決した事件ではなくワトソンが創作した物語としてロンドン版シャーロック・ホームズ譚を書き、雑誌に連載するという話に持って行きます。ここまで来ると話はちょっとややこしくなりますが、ホームズ愛好家にとってはこのような設定も嬉しいことです。
と喜び、最終章である第五章の「シャーロック・ホームズの凱旋」を「ここで初めて昔のようなシャーロック・ホームズの活躍が見られる」と期待を込めて読み始めました。ところが、ここでも話は二転三転し、思いもかけない事態が描かれます。作者に翻弄されているようです。
エピローグでは、再び寺町通221Bが現れ、そこでホームズ、モリアーティ、ワトソン等がビクトリア朝の京都で活躍している話に戻ります。最後に彼らを始めとする登場人物の全てにとっての大きな解決できなかった謎、全編を通じての謎について一つの文章で哲学的な解決がなされています。私は、虚実皮膜という言葉を思い出しましたが、違っているかも分かりません。多分ピント外れの答でしょう。
最初から最後まで、作者の手の上で転がされているような気持で読み進み、読み終えたのですが、これが作者の世界、森見ワールドなのでしょうか。
私にはついて行くのが大変な小説でした。最後まで読み終えることが出来たのは、コナン・ドイル作の名著にあった事件の名称や登場人物さらには表現がここそこに表れており、それが昔を思い出させてくれたことが大きな理由だったと思われます。