書評鑑別法

書評鑑別法
麻(2026年5月6日)
シャガ

 毎日届けられる新聞には新刊書の広告が掲載されています。偶に行く書店の棚には今まで知らなかった新刊書が数多く並べられています。私の頭の中にも読むべき本、読んでもいいかなと思っている本、暇つぶしに読もうとしている本などなど幾つかの本のタイトルが記憶されています。
 目的はいろいろであっても余り変な、あるいは間違った選択はしたくありません。その場合に私たちが頼りにするものの一つにいろんなところに書かれている書評があります。例えば、新聞各紙ではそれぞれのタイトルの特集欄で新刊書籍を紹介しています。我が家で購読している新聞の新刊紹介欄について新聞社は「読書委員20人が、ほぼ2週に1度、200冊を超える新刊本に目を通し、全員で議論した上で、書評すべき本を紹介しています」と書いています。

 また、いろんな機会に目にする書評の文章についても短いものからかなり長くその文章自体が一つのエッセイになっているようなものまでいろいろあります。評者や著者には誠に申し訳ない表現、失礼な言葉ですので最初に謝っておきますが、“仲間褒め”と思えるような書評もよく目にします。

 処分しようとしていた本の間に挟まれていた、昭和54年8月の日付のある経済誌から切り取られたスクラップに本を選ぶに際し有益だと思われる内容が書かれていました。タイトルは「書評鑑別法三つのカギ」です。掲載された場所から考えて、ここで書評の対象とされている書物は小説やエッセイといった類の本ではなく、平均的な会社員や公務員が社会の情勢を知るため、自己啓発のため、あるいは教養を高めるために読むような種類の書物だろうと思われます。

 このスクラップ記事で書評を判別するための眼目として取り上げられているのは、①内容紹介に手づくりの実意が認められるかどうか、②褒める理由に実感がこもっているかどうか、③その書評は引き延ばした文章か削って縮めた文章か、の三つです。
 40数年後に改めて読んで “なるほど” と思ったことです。①については言い換えれば、評者自身の言葉で書かれているかどうかでしょう。②については「どの箇所がどのように良いというように具体的に例を示しているかどうか。示している場合は、その書評は信用できる」と敷衍されていました。確かにその通りだと思います。その反対に、問題意識が優れているとか、視野が広く詳細だとか、時宜に適っているとか、人柄と経験が滲み出ているとか、と言った定型文が並んでいる場合は、どうであろうかと書いています。③については、確かにその通りだと納得したのですが、「言いたいことが沢山あるのを努力し圧縮したことが判るような文章ならその書評は本物だ」というのです。褒めるにしろ貶すにしろ圧縮した文章を書くには対象となる書物を読みこんだという力が必要となるに違いありません。

 過去に私が書評を読むに際してこの鑑別法に拠っていたか否かについては全く記憶していません。現在でもどのような目で書評を読んでいるかはあまり意識していませんが、「教えられるところ大であった」とか、「一読に値する」とか、といった定型的な文章が羅列されている書評はあまり信用していません。現在の私は私が好きな何人かの著者が褒めている書物を中心に選び、読んでいるようです。

「書評鑑別法三つのカギ」を書きつつ、著者は最後に「若い間はいろんな著者のいろんな書物を読んでみる。その内に自分の波長に合う著者や本を探し出せるだろう。この修練を何回か繰り返すうち、言うに言えぬ感覚が身につく。‥‥‥そのうち書物のほうから呼びかけてくれる」と書いていますが、これが一番確かなカギかも知れません。私にも「書物が呼んでくれた」としか思えない経験をしたことは何度かあります。