〇〇の時代

〇〇の時代
麻(2026年5月27日)

「○○の時代」という表現がマスメディアでよく使われます。「○○時代」と言うのもあります。何か記憶に残る表現です。新しい切り口で時代を切り取っているようにも感じます。ところがこの〇〇という言葉が具体的にどのような実態を意味するのか、カバーする範囲はどこまでか等、疑問が生じる場合もあります。多くの場合は感覚的にこの○○という言葉を使っているように思うのは私だけでしょうか。厳密に定義することなく漠然としておくことにこそ意味があると考えるべきなのでしょうか。理屈っぽく考えるのはどうも私の悪い癖のようです。

「契約の時代」(内田貴、岩波書店)という本があります。この本は民法学者によって書かれた専門書ですが久し振りに頭の体操をしよう、錆びついた脳を働かせようと手に取りました。現代の社会に於いて「契約」は私たちの社会活動の大本、基幹となっている法制度だと思いつつ読んだのですが、契約の実態を踏まえ、実務的な観点からの分析もなされ、興味深いものでした。が、著者の言わんとするところを完全に理解できたとは思ってはいません。

 現在の世の中でよく見聞きする契約に関する幾つかの話題を書中から取り上げてみます。
 我われは契約自由の原則という言葉を知っています。その中に契約締結の自由というものがあります。契約を締結するか否かについては自由である、そして契約を締結するとした場合にその内容は自由に決めることができるということです。
 しかし、現実にはいろんな法律が公益的な観点から契約の成立を強制したり内容を規制したりしています。例えば医師は診療して欲しいという患者の申し出を受けた場合は、基本的に断ることはできません。また下請業者のような弱者についてはそれを保護するため、親会社による下請代金の支払いについて法律でその内容を定めています。いずれの場合も契約自由の原則が修正されています。

 また、契約が締結されるまでは、契約を結ぶか否かは当事者の自由であって契約交渉をしている当事者は、いつでも契約交渉をやめることができるのが原則ですが、今日では契約交渉がある段階にまでに達すると、これを不当に破棄した場合は賠償責任が生ずることが裁判例によって認められています。

 これらはそれぞれ意味のある規制であり、契約締結の自由の例外でありますが、著者はこれら「特別法によって展開された新たな規制や裁判例によって認められた新たな義務など『例外的』な存在」について「今日あまりにも肥大化してはいないだろうか」という問題を提起しています。
 現実の契約としてスーパーでの買い物を例に挙げて「その(買い物の)前段階ではスーパーが行っている宣伝活動やスーパーで販売されている商品を作ったメーカーの宣伝活動が相まって、我われはそのスーパーの店舗に入る前の段階でその商品について一定の期待を持っている。それは合意から生じたものではなく、宣伝等によって作り出されたものに過ぎない。しかし、その期待が裏切られると、消費者は不当だと感じ、相手方に何らかの責任が生ずべきだという意識を持つ」と分析します。この分析は私には興味深いものでした。著者は契約の背後には「いろんな社会的条件があって、それが契約内容を規定している」のではないかとしています。
 また著者は「日常的な消費者取引においては、契約書を示され、『署名してください』と言われて消費者が署名・押印したとしても、その瞬間に百パーセント契約に拘束されるとはわれわれは考えていない。お互いまだ何のアクションも起こしていない以上、まだ引き返しがきくと考えるのが通常である」と書いていますが、法律的にはともかく、我われの現実の意識はこのようなものでしょう。

 世の中の動きにつれ、リース契約、フランチャイズ契約、パック旅行契約といった新たな契約が次々と登場してきました。マスメディアで最近よく取り上げられている介護サービスもかつての措置という行政処分によるものから被保険者と指定サービス業者との間の契約を通じて提供されるものに変わっています。

 このようなことを思いながら、単に活字を追っているだけの読書にならないように気を付けながらこの本と付き合ったのですが、有り余る時間があればこその行動でした。

 昔「法は最低限の道徳(を定めたもの)である」と言う言葉を教えられたことがありました。これから考えますと「契約の時代」の次に来る「○○の時代」の○○には「道徳」と言う言葉が入るかも知れません。それとも逆の方向である「規制」が入ることになるのでしょうか。

 未来を予測しようといろいろと考えますと私はいつもフランスの詩人・小説家ポール・ヴァレリーの「我われは後ずさりしながら未来へ入って行く」を思い出します。未来に入って行く我われの目の前には未来は見えていません。
 また出典は知りませんが「湖に浮かべたボートを漕ぐように/人は後ろ向きに未来へ入っていく/目に映るのは過去の風景ばかり/明日の景色は誰も知らない」という言葉もどこかで読んだ記憶があります。契約の時代が続くのか、あるいはそれがどのように変貌して行くのか、全く新しい考え方が生まれるのかについては興味のあるところですが、誰の目にも見えていません。