道(La Strada)

道(La Strada)
麻(2026年8月5日)

 借り出した本を返却するために図書館を訪れたときのことです。本日返却された本が仮置きされる書棚の隅に、この本が置かれているのに気が付きました。「常設展示室」というタイトルと原田マハという作者名、そして表紙はフェルメールの「デルフトの眺望」を展示している部屋の写真、ということから絵画をテーマにした小説か随筆だろうと思い直ちに借り出し手続きをとりました。

 ピカソの「盲人の食事」、フェルメールの「デルフトの眺望」、ラファエロの「大公の聖母」、ゴッホの「ばら」、マティスの「豪奢」、東山魁夷の「道」、それぞれを脇役に6人の女性、一人を除いては絵画に関係のある仕事に従事している、の人生の一端を描いている短編小説集でした。

 6編とも面白く読んだのですが、最後の「道(La Strada)」を読んだときには、少し涙ぐみました。
 主人公は母の死後、4~5歳で兄と別れて裕福な家庭の養女になり、パドヴァ大学で近代美術史を学び、オックスフォード大学院で博士号を取得、美術評論家としても数多くの著作を出版し、フィレンツェの大学の客員教授となっていたが、日本の大学の教授として呼び戻され、その美貌と立ち居振る舞いから現在ではマスメディアの寵児となっている人物です。

 主人公が一時帰国した20歳の頃に東山魁夷の「道」を、別れた兄(と思われる路上で手描きの絵を売っていた貧乏画家)と一緒に見たときの会話は、

「この作品を描くことで、画家は多くのものを得たんでしょうね」。沈黙のあとに、(主人公は)そう言った。
「あざやかな色彩、無駄のない構図、落ち着いたタッチ。理想的なスタイルを得て、次の段階(フェーズ)に移行することができたんだわ」
(兄と思われる貧乏画家は)黙って聞いていたが、やがておだやかな声でひと言、言った。「多くのものを捨てたんだと、僕は思います」‥‥‥「全部捨てた。そうしたら、道が見えてきた。この絵を見ていると、そんな風に感じます」
でした。

 帰国後、日本で最も権威のある美術団体と大手新聞社の共催に係る新人芸術家の登竜門とみなされる賞の審査員になっていた42歳の主人公が、最終選考の対象となった30点に含まれていた、別れた兄と思われる画家が描いた画、それは画用紙をつなげて一枚にした厚紙に描かれた百号ほどの水彩画でした、を観たときに思ったのは、

 畑の真ん中を突っ切る細く白い道。水田の土手沿いに電信柱がぽつりぽつりと立ち、それを電線が細々と繋いでいる。電線の向こうに広がるのは、しんと澄んだ夕方の空。道は、その夕空の彼方に向かって吸い込まれるように続いている。残照が畑を、まばらな家々の屋根を、画面のものみなすべてを等しく照らし、明るく青い影を作っていた。
 誰もいない。けれど、真新しい道の存在は、人間のひそやかな人生がどこかに息づいていることを示唆しているようだ。
 この道が指し示すもの。別れだろうか。それとも始まりなのだろうか。
でした。

 そして、主人公がその別れた兄と思われる貧乏画家の家を訪れる場面の道は、

 いちめん、青々と波打つ水田が広がっている。そのあいだをまっすぐに切り裂くようにして、細い一本道がずっと先まで続いている。‥‥‥古いくたびれた道だ。‥‥‥コンクリートの道はひび割れてがたがたになっている。‥‥‥あたりを見回す。不思議ななつかしさが胸に募る。‥‥‥この道は、あの道だ。幼い頃、母と三人でたどった、あの道だ。日が暮れるまで兄と戯れた道。兄が大きなお城を描いてくれた道。泣きじゃくりながら、兄と最後に分かれた道。
と描写されています。
 主人公の兄は中学生の女の子を残して、一週間前に亡くなっていたのでした。

 この作品の中でもう一つ私の心を打った、忘れられない文章がありました。それは賞の決定に際しての審査時間として三分を提示した主人公の考えを述べた文章です。

作品が観る者の関心を奪うのには一秒もかからない。第一印象が決まるのには三秒。細部が見えてくるのに十秒。それがすぐれた作品と察知するのに、もう十秒。
 二十五秒あれば、作品の全体像がつかめる。それが(主人公の)持論だった。時間は作品とのコミュニケーションだ。もっとも楽しい時間である。二分三十秒、作品と対話し、心ゆくまで遊べばいい。
 そしてほんとうの感動は作品を観終わったあとについてくる。たとえばその作品を観たのが美術館なら、そこを出て、食事をして、電車に乗り、帰宅し、眠る直前まで、観た人の一日を豊かにし続ける。それが名作というものだ。
という文章でした。