今、多くの分野で話題になっている生成AIと小説の関係をどのように考えたらいいのでしょうか。
私が録画予約をして視ている番組の一つにテレビ東京の「あの本 読みました?」があります。先日の放送内容は、「生成AIと小説」をテーマにしたものでした。
AIに関して一般人を対象にした書物が相次いで出版されている現状、そしてAIが登場する小説が幾つか出版されている状況を考えたとき、このテーマは時宜に適ったものだと思ったことです。また、2024年の芥川賞受賞作である「東京都同情塔」(新潮社、九段理恵)について、作者は「生成AIを登場させ主人公と会話するシーンで実際に生成AIが作った文章を使用した」が、その理由は「AIが紡ぐ文章は今の世の中の人たちが使う文章の平均値だから」との発言をし、話題になったことも関係しているのでしょう。
ゲストは「生成AIで世界はこう変わる」(SB新書)の著者であるAI研究者・工学博士の今井翔太氏と芥川賞受賞作家で現在同賞選考委員でもある平野啓一郎氏でした。興味深いテーマですが、AIについては基礎的な知識すら持ち合わせていない私には極めて難しいテーマです。放映された両氏の発言からそれぞれの発言の意図について(全くの素人の私が正確に掴み、解り、それを文章化することは難しいと思いつつも)私が理解した(と思っている)内容を以下に書き、最後に現時点での私の素朴な疑問を述べてみようと思います。
なお、AIと生成AIの区別についての司会者からの質問に対して、今井氏は生成AIと言われている代表的な例を挙げて説明しつつ「研究者もはっきりとは定義していない。マスメディアの区分も雑である」と答えていました。AIというものが日々進化しつつある現時点においては「そりゃそうだろうな」と思ったことでした。
今井氏は「人間にとって簡単にできることはAIには難しく、AIにとって簡単にできることは人間には難しい」と幾つかの職業を例に挙げて説明しつつ「しかし長期的には人ができることは全てAIはできるようになる」と言います。そして「生成AIは使う人によって答が異なる。AIの答は(それを)使う人の(質問の)文章力による」との発言はそのとおりだな、と思いました。
平野氏は「文学は言語化できていないことを上手く表現するのが醍醐味というか本質」と述べ「AIには到達できない領域、例えば本人の記憶で何十年間一度も呼び起こされなかった記憶が何かのきっかけで突然に呼び起こされるということもある」と例を挙げて言い「AIが人間に近づくと言われるが、人間がAIに近づくという負の側面もあるのではないか」と発言しています。平野氏には「AIは過去を学習できるが、未来は学習できない」「AIは計算した結果を述べるだけだが、その結果に人間が感情移入する」と言う発言もあり、これが負の側面の一部を表現しているのかとも思いつつ視聴していましたが、果たして正しい理解だったでしょうか。
「生成AIに小説を書かせる」ことについては、平野氏は「AIに小説を書かせることは考えていない」「著作権問題がある。盗作とされる危険性がある」と述べ、「小説は作者との共感性が強い。小説家が完全に淘汰されていくことはないと希望を込めて思っている」としています。ただ、最近発表した自らの短編を例に挙げて、その小説では「マッチング・アプリで出会った主人公について相性をAIで判断した方が正しかったというニュアンスをアイロニーと言う形で言外に含めた」趣旨の発言もありました。
私はこの放送を視聴しながら「基本的な問題としてそもそも、どのような方法により生成AIに小説を書かせるのか。小説を書いて下さい、というような単純な指示ではないことは理解するが、小説の根幹となる部分を提示してそれを膨らますことを要求するのか、詳細なプロットあるいはストーリーを与えてこれに基づく小説を書くように指示するのか、それとも自らが70%あるいは80%まで書いた小説を仕上げるようなものなのか、AIと対話をしながらそこで得たヒントを基に小説を書いてゆくのか、全くイメージが掴めない」と思ったことです。
いずれにしても私は生身の人間が書いた小説を読みたい、AIが書いたような小説はそれがどれほど面白いものであっても、示唆に富むものであっても読むのは躊躇する、と思っています。ただ、AIとの対話で得たヒントを創作の中に生かすことはあり得るだろうし、それを非難すべきではないとも考えています。
(追記)
この文を書き終えてしばらく経った頃、ある新聞の文芸時評欄で村嶋和樹さんが書かれた「生成AIは人間を映す鏡か」という見出しの文章に気が付きました。そこでは、九段理恵さんが4,000字の小説の最初と最後の一文を書き、小説の方向性を決める、と言うルールのもと生成AIと共同執筆した小説「影の雨」や生成AIとの対話そのものを小説に取り込んだ永方佑樹「生成変容体」について触れていました。