飽きるということ

飽きるということ
麻(2026年9月2日)

「飽きる」

 ひょんなことから横尾忠則さんの「飽きる美学」(実業之日本社)を知り、読みました。白一色の表紙でそこに「飽きる」「美学」「横尾忠則」と言う文字が明朝体で三行に亘って印刷され、左下に「実業之日本社」と小さく書かれているシンプルであって品があるデザインが印象的な本です。
 横尾さんについては、今年88歳の美術家、グラフィックデザイナー、版画家ということを知っているだけで、今までその画業にそれと意識して接したことはありません。展覧会に行ったり横尾忠則現代美術館を訪れたりしたこともありません。ただテレビ画面を通して横尾さんの画を見たことは何度もあります。何冊もの著作物があるのも初めて知りました。「2000年にニューヨークADC(Art Directors Club)殿堂入り、2011年の旭日小綬章受章、2023年に日本芸術院会員及び文化功労者に選出など、現在まで数々の功績を残している」人物だと紹介している文もありました。

 この本は4頁ほどの短い文章によって構成されています。それぞれのタイトルそのものが「例えば」と例を挙げたくなるほど極めて魅力的な示唆に富む言葉で、それらが連なっています。それらを眺めながら「本文ではどのようなことが書かれているのか」を少し考えたことです。

「はじめに」で横尾さんは

「絵を描くのに飽きた!」と言ったり書いたりしたもんだから、「エエーッ」と驚いた人がずいぶん沢山いたのに驚いた。驚いた人達の多くは、この「飽きた!」という言葉にえらい新鮮さを覚えたというのです。「飽きた!」がそんなに新鮮なのかな?・・・・・・では、僕が「飽きた!」というのは、絵を描くアイデアが、ちょっと固執(注:横尾さんはこの言葉を使っています)しただけのことです。本当に飽きたなら、止めればいいのです。・・・・・・飽きてからがいよいよ本番なのです。飽きるということは何かというと、自由になったということです。飽きない間は不自由なんです。自由が見つからないから飽きないのです。僕が「飽きた!」と言った瞬間、「飽きた!」と「自由」は同意語だということに気が付いたのです。・・・・・・・

と書いています。
「飽きることは自由になること」とは、今まで考えたこともありませんでした。

 リタイア後の私が意識的にしていたことと同趣旨のことも書かれていました。それは「何でもすぐやる思想でストレスをなくす」ということです。
 横尾さんは「松戸市だったか、地方の市役所に何でも『すぐやる課』が出来たというニュースを知って、目から鱗、『よっしゃ、これをマネて一つ意識革命を起こそう』、この『何でもすぐやる思想』を実践することにしたのです」と書いています。そしてそれによって起こった諸々を私たちにも納得できるような表現で教えてくれます。

 私は「ストレスをなくす」ということは意識していませんでしたが、リタイア後は自由になる時間が十分にあることもあり「なにかしなければならないこと、気が付いたこと、事の大小を問わず頼まれたこと」は直ぐに手を下す、こととしてきました。簡単なことだからいつでもできるとか、ちょっと面倒だから気の向いたときにしよう、と理由を付けて後回しにすることなく直ぐに手を下すことは結果的にはストレスを溜めないことに連なっていたかも知れません。

 横尾さんと私の違いは「すぐやる」ことによって生まれた「ありあまる」時間の使い方です。横尾さんは

 その時間を何かで埋めるというようなことはなるべくしないで、何もしないことをする無為の時間のために活用しています。・・・・・・出来るだけ頭を空っぽにする時間を作ります。その空っぽの時間を閑暇だからといって読書などはしません。読書で人の言葉で頭の中をいっぱいにしてしまうよりも、できるだけ、言葉以外の無心を楽しむことにします。・・・・・・老齢になったこの頃は、その余った時間をもっと拡張することのできる無為の状態を「考えないこと」を考えることで「創造」することに切り換えたのです。

 空いた時間を読書に充てたり、録画したテレビ画面を視たりしている私とは大違いです。

「思考に左右されている間は自由ではない」の項では、公開制作を始めた経緯から話を進め

僕はオーケストラの指揮者同様、観客に背を向けたまま、タクトを筆に変えて、大きいキャンバスに叩きつけるのである。・・・・・・観客は、まるで目の前で起こりつつある「事件」のなりゆきを目撃しているようである。・・・・・・観客の緊張がそのまま僕の肉体に食い込んでくる。ところが僕は次第に、この観客の想念が背後から襲ってくるのを利用して絵を描いていることに気づき始める。・・・・・・ただ筆を持った肉体が脳を離れて、ひとり歩きをしているのである。・・・・・・つまり、いつの間にか自我から解放されているのだ。

と公開制作では「思考は外部にあって、内部は空洞化した状態で、最も創造的な瞬間を演出してくれる」と結論らしきものを提示してくれています。

 老齢の著者の柔軟な発想に驚くとともに多くのことを考えされてくれた一冊でした。