シーラッハの「刑罰」

シーラッハの「刑罰」

muca(2024年1月7日)

 この短編集の最初の「参審員」で、ドイツの司法制度というものに抱いた疑念が、残る11編に影を落としてしまいました。
 悲惨な目に遭った証人(原告)の証言を、自分の経験と同じように感じた女性参審員が泣き出したために、弁護人の動議が認められ、刑事訴訟手続きは中止、被告人は釈放となります。
 その参審員(カタリーナ)は始末書を書かされ、4か月後、その証人が被告人に殺害されます。
 カタリーナは裁判所に、自分を参審員名簿から抹消して欲しいという長い嘆願書を書きましたが、裁判所はこれを却下します。
 ドイツの司法制度が今も当時のままかどうかを知らないのですが、参審員としての適格性より義務の公平性に重きを置くような考え方は、検察側と弁護側が最善の努力を尽くして争うべき公正な裁判という面で大いに疑問であると思わせられました。
 短編集の最後は「友人」という題です。弁護士と仲の良かった友人は子どもの頃から多彩な才能がありましたが、悲痛な後悔を抱えることになり、自暴自棄の生活の果てに亡くなります。この1編は次の文章で終わります。

 刑事弁護士になって二十年、段ボール箱がひとつだけ残っている。つまらないものしか入っていない。書き味の悪くなった緑色の万年筆、ある依頼人からもらった煙草入れ、数枚の写真と手紙。
 新しい人生を歩みだせば楽になれると、私は思っていた。だが楽になど決してなれなかった。結局おなじなのだ。薬剤師であろうと、家具職人であろうと、作家であろうと。それぞれの決まりごとはすこし違うものだが、疎外感は残りつづける。そして孤独感やさまざまな思いも。

 不条理に翻弄された被告それぞれが冒した犯罪。それらの記憶は弁護士をやめた今も居座り続けるという、「あとがき」とも言える著者の述懐に思います。何れも1編ずつ読んでいくのが私には重い短編集でした。登場人物に感情移入するような読み方をしていると非常に疲れるので、書かれていることだけに注意して読むようにしたのです。
 本を読むということは、書かれていることから直接的に知識を得るだけではなく、肯定的であれ批判的であれ、何らかの啓示を見いだすことでもあります。それが読者である私に「自分で考える」ことの大切さを教えてくれるのだと思います。
 読後に、この本の訳者「酒寄進一」の名前で図書館の蔵書を検索してみました。検索のキーワードを訳者の名前にしてみたのは初めてですが、彼の(翻訳対象を選ぶ)眼力を信頼して本を選ぼうとしたわけです。
 ヒットした中から選んだ1冊を図書館に予約したのですが、この選択方法がどう出たかを次の機会に書こうと思います。