ビールアンソロジー

ビールアンソロジー

啓(2024年7月24日)

 どれを読んでも楽しい。どこから読んでも楽しくなる。副題の「今日もゴクゴク、喉がなる」は言い得て妙である。
 大和書房から 2023 年7月に発行された「おいしいアンソロジー ビール」はこのような形容、表現で評価してもいいだろう。遠藤周作、村上春樹、吉村昭、開高健各氏などの作家は言うに及ばず北大路魯山人、内田百閒、坂口謹一郎各氏など故人を含めそうそうたるメンバー 44 人が2頁から20頁までのビールに関するエッセイを書いている。料理研究家の辰巳浜子さんはご主人のビールの飲み方を楽しく書く一方でおつまみについて書いていらっしゃる。赤塚不二夫さんは漫画で「天才バカボン お酒のにおいをよこすのだ!」である。

 ビールと言えばまず最初に来るのはその温度である。
 その温度について「ビールはグラスごと、ギンギンに冷えているのが好き」「いいビアホールの資格とはという問いに関しては(チェコ人は)異口同音である。まず第一に、一年中六度の温度を保つ地下室がなければならない」「生温かいビールなぞは呑めたものではないが、冷え過ぎたものも味は零だ」「しっとりとよく冷えた瓶をかたむけて、これも冷えたコップにゆったりと注ぐ」などと持論を述べる。そして「『泡』たっぷりの『冷え』抜きビールと、『冷え』充分の『泡』無しビールと、どちらかを選べと言われたら、みなさんどうなさる」との難問もある。
 私自身のことを言えば、数時間のラケットボールの練習の後のビールだけは仲間から呆れられた「常温のビールを大量の氷の入ったジョッキに注ぐオンザロック」だった。Tシャツを何枚も取り換えるほど汗をかいた後に冷えたビールをそのまま飲むのは、胃に負担をかけるように思ったからだが、今考えると笑止千万な行為であった。

「ビールはできたてのを、なるべく早く、できた所からごく近い場所で飲むのがうまいのだ」と書くのは指揮者の岩城宏之氏。確かにかつて我が家の近くにあるビール工場を見学した後に出された出来立てのビールは美味しかった。そして妹尾河童氏の説である「美味しいのはビールの泡で、その泡をたっぷり立てる上手な方法」を詳細に教えてくれるのは阿川弘之氏。

 食事処でよく聞く「とりあえず、ビール」と言う言葉については、私はいつも「ビールに対して失礼だろう」と思い、この言葉を口に出したことはない。この言葉でビールを注文する人たちは「まず」とか「最初は」という意味で「とりあえず」を使っているのだろうと思いつつも。
 この言葉について阿川佐和子氏は「かねがね私は、この『とりあえず』という接頭語をビールの上につけないよう心がけてきた。『とりあえず』という言葉には『不十分。必ずしも満足していない』という意味が含まれる。ビールでは不満だが、他にないからしかたがない、あるいは、本当に飲みたいお酒は他にあるが、まっ、ビールでもいっか。そんな気持ちでビールを飲むのは失礼だ。そう叱られて以来、言うのをはばかってきた」と書いている。

 ビイル、麦酒などの表現からも窺えるように古い文章で現在では事情が変わっているだろうと思われる内容もある。種々の理由からそうせざるを得なかったのだろうが、もう少し最近のビールエッセイが多い方がもっと楽しめる、と思ったことではある。
 そして末尾には最近の再録本に多く見られる「本書には、今日の見地からは不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代背景と文学性を鑑みて、作品の形を尊重し、発表当時のまま掲載いたしました」が書かれている。