図書委員

図書委員

muca(2016年2月3日)

 ませていた私の小学生時代は、謙虚を美徳と心得ておりました。
 客観的に申しますと、居るか居ないか分からない子でした。
 居るか居ないか分からないとは言え、知識欲だけは持ち合わせておりましたので、小学校の図書室からやたらと本を借りては読みふけりました。
 貧乏だったので、当たり前のように共働きをしていた母は、当たり前のように「小学一年生(という名前だったと思います)」の定期購読を始めてくれ、それが本好きになるきっかけだったと思います。今日は本屋さんから来月号が届いているかなと、わくわくしながら学校から帰ったものでした。
(2つの小学校区を擁していた)中学校に上がると、同じ学年でも半分は知らない子となり、その代わり乱暴な子は倍に増えたので、居るか居ないか分からない子は、ますます影が薄くなったのでした。
 この頃から急に大人びてきた女の子たちは、「あなたたち男の子は、ずう~っとそういう生き方のままでいなさいね」と言わんばかりに見えました。
 大人びてきた女の子の中に、いつの間にか図書委員におさまっているのがいました。
 その子は私と同じ小学校の同窓生であったのに、中学校の図書室で本を開いている姿は、知的に見えると同時に、生意気なようにも見えました。
 一方、小学生時代はドイルやポー、ルブランやデュマなどの合間に、源氏物語も難なく読みこなしていた、早熟の“居るか居ないか”には、ふつふつと対抗心が芽生えるのでした。
 次の学期に、何を思ったか“居るか居ないか”は、その子と同様図書委員に立候補していました。
 その女の子は、そんな私を一瞥しただけでした。
 一学期だけ、その子と二人で図書委員をしましたが(そういう軟弱な役をしたいという物好きは他にいなかったのです)、特に大事な仕事があるわけでもないので実に退屈でした。図書委員が集まって何かをしたり決めたりするということもなく、何のための委員だったのかまったく不可解でした。
 その後、“居るか居ないか”のくせに“居ても居なくてもいい”図書委員まで経験した私の本との関わりは、読むことだけに戻ったのでした。