子どもの雑誌

子どもの雑誌

島田 耕(2016年5月25日)

 育った家は古くて大きかった。小学校に入る時まで祖母と叔母に預けられ、二人が育ててくれた。
 父と母と二人の弟と初めて出会って、すぐ下の弟(四才)の言葉にびっくりした。英語だと、私にもわかる言葉がとびかった。アメリカ帰りだった。
 母と弟二人と床をならべて寝るようになって、浴衣で寝ていたのが、パジャマになった。素っ裸にされてパジャマを着る。床に入ると母が本を読んでくれた。弟がいつもそうしていたので、せがんだのか。
 読んでくれた本の中には、男の子二人が出てきた。「善太と三平」と憶えてはいる。のちに坪田譲治の著作と知った。寝ものがたりで聞いたなかに「風の又三郎」もあった。
 父は子どもたちにお化けのこわい話をしてくれた。声色と身振りで祖母のひざに顔をかくした。
 が、本、書物は学校の教科書の他に、子どもの本は思いあたらない。家には分厚い雑誌「キング」があり、漢字にルビがあったのでひろい読みをした。
「金色夜叉」もおぼえている。
 祖母でも母でもない親戚の女の人が、「耕ちゃんにそろそろ子どもの雑誌を」と言って手配をしてくれた。
「少年倶楽部」が自転車のお兄さんによってとどけられるようになった。
 村には鉄道もなくバスが北の海辺の町から南の町へ走っていた。その本屋は村を二つくらい通り抜けた海辺にあって、本のお兄さんはゆっくり上り坂の私の家までのぼってくるのであった。家の前の道で遠くに海や小豆島が見えるところに本屋があると聞いて、立ちつくして待った。
「少年倶楽部」は自分でも読めた。むづかしい字にはふり仮名がついていた。とどいた日には、友だちと遊ぶのもそこそこに読みふけった。一日で全部読んでしまうので、次の月までが待ちどおしかった。
 小学校一年の七月(一九三七年)、日本が中国で侵略戦争をはじめた。子どもの読み物も、強い日本兵のたたかいなどをあつかうようになったことをおぼえている。