将棋とAI

将棋とAI

啓(2023年8月23日)

 私は将棋については駒の動きを理解している程度の人間であるが、棋士が将棋を離れて書いた本は何冊かを保有している。さらにこれらの人のインタビューでの発言などの幾つかは記憶している。
 将棋の羽生善治氏は囲碁の井山裕太氏と共に国民栄誉賞を授与された人物であるが、この際の新聞社のインタビューに答えて将棋とAIについて発言しており、私は彼の発言を面白く読んだ。
 IBM社のホームページでは、人工知能(AI)について「人工知能とは、コンピューターや機械を利用して、人間の問題解決能力と意思決定能力を模倣するものです」とあった。
 正しいかどうかは知らないが、いま漠然と私の頭にあるのは「AIとは人間の知能に近い判断をするものなのだろう、人間の脳が行っている知的な作業を模倣したコンピューターのソフトウェアやシステムのことなのだろう、人間のように論理的な推論を行ったり、経験から学習したりするコンピュータプログラムなどのことをいうのだろう」というものである。
 羽生氏は「ここ数年、人工知能(AI)が強くなって、将棋も囲碁もプロ棋士の在り方が問われています」と言う記者の質問(この質問自体も何を聞きたいのかはっきりしない愚問であるが)に答えて「AIは何かの競争をしたり、生活をより便利にしたり、という目的で使われがちですが、人間の才能や能力を伸ばすツールとして使うこともあり得ます。囲碁・将棋の世界でそれが実践できれば、AI時代での伝統的な世界の在り方を示すことができる、と思います。ソフトが強くなるのと比例して棋士も強くなれば、ですね」と答えている。
 私は、彼の答の中にあった「人間の才能や能力を伸ばすツールとしてAIを使う」という発想に目を開かされた。「人間の判断をAIに任せる」「人間の判断がAIに取って代わられる」との考えをよく聞くが「あくまで人間が主体でAIは人間の才能や能力を伸ばすツールである」との考え方は科学というものを正しく捉えているのではないだろうか。
 この話から唐突に将棋の故大山康晴氏がかつて新聞のインタビューに答えた言葉を思い出した。
 それは「かつては一つひとつ丁寧に筋を読んで次の一手を考えたが、今は何手か先のあるべき局面を頭に浮かべ、それに最も近い手を打つ」というものだった。
 この大山名人の思考とAIの思考とは同じなのだろうか、それとも異なったアプローチなのだろうか。また、現在のAIは大山名人の思考をどう考えるのだろうか。AIが教えるあるいは評価する次の一手は大山名人の次の一手と同じように考えて決定されているのだろうか。
 AIについても将棋についても、何も知らない全くの素人の愚問である。
 ここまで書いた後、書庫に眠っている将棋の米長邦雄さんの書物のうち勝負について書かれた何冊かをAIを意識して卒読したが、私の読み方が不十分だったのか、勝負における人間の脳の働きについて言及されている文章を見つけることはできなかった。
 ただ、囲碁の藤沢秀行さんとの対談本「勝負の極北」(クレスト社)の中に米長さんの次のような発言を見つけた。

「詰むや詰まざるや」は江戸時代に作られた問題集です。……私は昔、プロを目指す若い人たちに「これを全部解き終えたら四段になれる」と言ったんです。……私自身も、第一問目の69手詰めを解くのに、毎日6時間くらい考えて一週間かかりました。……実戦にはまず出ないような、きわめて複雑な詰将棋を、必死で解くことに意味があるんです。つまり、集中力と根気を養う、頭脳を鍛える。……そのひとつひとつの苦労が、血となり骨となります。
……羽生はそれを十代で気付いたんです。「先生、あれには大変な意味が隠されてますね。毎日毎日将棋を考えているということが大事で、その情熱を失わないことが大事なんですね」と、あるとき私に言ったんです。

 なんとなく羽生善治氏の“脳の見方”を知ったように思った。インタビューでの羽生氏の意見と十代の羽生氏の米長氏に対する答えとは同じように見えるのだが。
 なお、近時大活躍をしている、私もファンの一人である藤井聡太七冠は将棋の研究に際しコンピューターを積極的に活用していると報じられている。彼のAI観はどのようなものか気になるが、このことに関する彼の発言を報じた新聞記事や書物は知らないので、残念ながらここに書くことはできなかった。が、何となく羽生氏と同じように「AIは人間の才能や能力を伸ばすツール」と位置付けているように思っている。
(追記)
 この文章を書いてから数ヶ月経った頃、あるところで巷間「AI越え」と称されている一手についての藤井さんの次の言葉が引用されているのを見付けた。原典は何だかは知らないし、正しく引用されているか否かも知らないが、何となく納得のできる言葉であると思った。
「一言で説明するのは難しいですけど、人間であれば条件を整理し、条件に沿った手を考えていきます。その中で導き出した手でした。現状、ソフトが大変強いことは言うまでもないことですけど、部分的には人間の方が深く読める局面もあると個人的には考えていたので、それが現れたのかなと思います」