紙の本と電子書籍
私は現時点で電子書籍は一冊も保有していないし、また死ぬまで保有することはないだろうと予想している。
とは言いながら、今でも読書用メガネを使用しても(さらにはハズキルーペを使っても)本を読むのに苦労していることを考えた場合、字体を大きくすることが可能な電子書籍に移行する可能性もある。まあ、そのような状態になっても読書に興味を抱いて居ればの話だが。
私が現時点で電子書籍を忌避している理由を考えると、紙の本については装丁や大きさを含め一冊ずつの外形が異なっている、活字の大きさも異なり版の組み方も違っている、紙質も違っていると言った理由により一冊一冊がそれぞれの顔を持っていることにある。
その結果、その本全体から醸し出される諸々が、内容だけでなくその本を買った経緯やそれに纏わるいろいろの思い出を視覚的に私に与えてくれる。
このようなことを考えているのだが、つい先日紙の本と電子書籍について触れている文章に出会った。そこでそこに書かれている意見や WEB で知ったジャーナリスト・評論家の佐々木俊尚氏の見解も参考に頭の整理として、紙の本と電子書籍について以下のように纏めてみた。
電子書籍というものについて私は詳しいことは理解できていないが「単なるデジタルデータ」ではないだろうか。そしてそのデータはとても小さく「漫画のような画像中心の電子書籍データでもせいぜい 100 メガバイトぐらい、ふつうの長さの小説だと 10 メガバイトぐらいしかない」そうだ。
ちなみに私が撮る写真1枚は6メガバイト前後である。素人考えだが、ビッグデータの席捲する現代においては、この電子書籍1冊のデータ量は殆ど無視できる程度の大きさなのだろう。
このことは電子書籍には絶版ということがなく、永遠に残ることになり、いつでも直ちに必要な書籍を入手できるということになる。出版社を経営している友人によると「紙の本だと印刷し保管するのにコストがかかるから、刊行から年月が経って売れなくなった本は絶版にする」という。
真偽のほどは知らないが、一般的に「世界にはこれまで数百億冊の本が作られたが、そのうちいまも市場で流通しているのはわずか 10 パーセントしかない」と言われているそうだ。
一方で、電子書籍でも「電子書籍のストアが閉鎖されたり、ストア側の一方的な都合で絶版されたりしてしまえば、端末の電子書籍リーダーで読めなくなってしまうという問題もある」と指摘されている。このようなリスクは紙の書籍の絶版と比べてどれほどの大きさなのだろう?
電子書籍の利点として「文章を検索できるということがあります。紙の本ではこれはできませんでした。シェイクスピアの文学の中には『愛』という言葉がどれだけ出現するだろう?というようなテーマは、それを調べるだけで昔はひとつの研究として成り立ったと思いますが、今だったらキンドルの検索機能で一瞬にして調べられてしまいます」と書かれた文章がある。
この話は私が高校3年生の夏休みに「平家物語では『こころ』という言葉がどのような折にどのような意味で使われているか」を調べたことを思い出した。私の調査には数多くの脱漏があっただろうことは想像に難くないが、電子書籍では 100 %捕捉できるだろう。
電子書籍の更なる利点として「他の書籍やウェブページにリンクを張れるということがあります。書籍の『知』がいったいどこからどこにつながっているのかを、マウスのクリックだけでたどることができるのです。これは情報の体系化にはとても便利だといえるでしょう。紙の本では、巻末の参考文献リストなどで手探りでたどらなければなりませんでした」とある。
この意見には全面的に同意するが、あまりにも簡単に数多くの関係情報を知り、関連する知識を得ることのマイナスはないのだろうか。情報は多ければ多いほど良い、というものでもあるまい。自らの灰色の脳細胞に汗をかかせていろいろと調べ、その結果を比較考量し、結論を導くという地道な努力をすることによるプラスはきっとあるに違いない。
「メリット・デメリットを考えて、参考書は紙の本、漫画や小説は電子書籍、などといったように紙の本と電子書籍を併用して利用するのが、最も賢い本の読み方なのかもしれません」「大事にとっておきたい本は紙の書籍、一度読んだらもう読まないといった本は電子書籍、など自分なりに分類して両方をうまく使い分けすることが、最も快適に本を楽しむ方法です」などと書かれているが、まあ「こんなところだろう」というのが自らを棚に上げての現時点での第三者的な私の意見である。
とは言いながら、今でも読書用メガネを使用しても(さらにはハズキルーペを使っても)本を読むのに苦労していることを考えた場合、字体を大きくすることが可能な電子書籍に移行する可能性もある。まあ、そのような状態になっても読書に興味を抱いて居ればの話だが。
私が現時点で電子書籍を忌避している理由を考えると、紙の本については装丁や大きさを含め一冊ずつの外形が異なっている、活字の大きさも異なり版の組み方も違っている、紙質も違っていると言った理由により一冊一冊がそれぞれの顔を持っていることにある。
その結果、その本全体から醸し出される諸々が、内容だけでなくその本を買った経緯やそれに纏わるいろいろの思い出を視覚的に私に与えてくれる。
このようなことを考えているのだが、つい先日紙の本と電子書籍について触れている文章に出会った。そこでそこに書かれている意見や WEB で知ったジャーナリスト・評論家の佐々木俊尚氏の見解も参考に頭の整理として、紙の本と電子書籍について以下のように纏めてみた。
電子書籍というものについて私は詳しいことは理解できていないが「単なるデジタルデータ」ではないだろうか。そしてそのデータはとても小さく「漫画のような画像中心の電子書籍データでもせいぜい 100 メガバイトぐらい、ふつうの長さの小説だと 10 メガバイトぐらいしかない」そうだ。
ちなみに私が撮る写真1枚は6メガバイト前後である。素人考えだが、ビッグデータの席捲する現代においては、この電子書籍1冊のデータ量は殆ど無視できる程度の大きさなのだろう。
このことは電子書籍には絶版ということがなく、永遠に残ることになり、いつでも直ちに必要な書籍を入手できるということになる。出版社を経営している友人によると「紙の本だと印刷し保管するのにコストがかかるから、刊行から年月が経って売れなくなった本は絶版にする」という。
真偽のほどは知らないが、一般的に「世界にはこれまで数百億冊の本が作られたが、そのうちいまも市場で流通しているのはわずか 10 パーセントしかない」と言われているそうだ。
一方で、電子書籍でも「電子書籍のストアが閉鎖されたり、ストア側の一方的な都合で絶版されたりしてしまえば、端末の電子書籍リーダーで読めなくなってしまうという問題もある」と指摘されている。このようなリスクは紙の書籍の絶版と比べてどれほどの大きさなのだろう?
電子書籍の利点として「文章を検索できるということがあります。紙の本ではこれはできませんでした。シェイクスピアの文学の中には『愛』という言葉がどれだけ出現するだろう?というようなテーマは、それを調べるだけで昔はひとつの研究として成り立ったと思いますが、今だったらキンドルの検索機能で一瞬にして調べられてしまいます」と書かれた文章がある。
この話は私が高校3年生の夏休みに「平家物語では『こころ』という言葉がどのような折にどのような意味で使われているか」を調べたことを思い出した。私の調査には数多くの脱漏があっただろうことは想像に難くないが、電子書籍では 100 %捕捉できるだろう。
電子書籍の更なる利点として「他の書籍やウェブページにリンクを張れるということがあります。書籍の『知』がいったいどこからどこにつながっているのかを、マウスのクリックだけでたどることができるのです。これは情報の体系化にはとても便利だといえるでしょう。紙の本では、巻末の参考文献リストなどで手探りでたどらなければなりませんでした」とある。
この意見には全面的に同意するが、あまりにも簡単に数多くの関係情報を知り、関連する知識を得ることのマイナスはないのだろうか。情報は多ければ多いほど良い、というものでもあるまい。自らの灰色の脳細胞に汗をかかせていろいろと調べ、その結果を比較考量し、結論を導くという地道な努力をすることによるプラスはきっとあるに違いない。
「メリット・デメリットを考えて、参考書は紙の本、漫画や小説は電子書籍、などといったように紙の本と電子書籍を併用して利用するのが、最も賢い本の読み方なのかもしれません」「大事にとっておきたい本は紙の書籍、一度読んだらもう読まないといった本は電子書籍、など自分なりに分類して両方をうまく使い分けすることが、最も快適に本を楽しむ方法です」などと書かれているが、まあ「こんなところだろう」というのが自らを棚に上げての現時点での第三者的な私の意見である。