格闘家の詩集

格闘家の詩集

啓(2023年6月14日)

 ジャイアント馬場氏( 1999 年1月 31 日死去)に続いて 2022 10 月1日にプロレスラーのアントニオ猪木氏が亡くなった。マスメディアはプロレスラーとしての、また政治家としての氏の活躍・功績を報じた。
 私にとってのプロレスラーは力道山でありルー・テーズである。ジャイアント馬場やアントニオ猪木についてはそれほど多くのことは知らない。
 私の古くからの読書好きの友人はどこで知った知識なのか「ジャイアント馬場は大変な読書家でいつも何か本を手元に置き、年間 200 冊以上読んでいる」と尊敬の念を込めた言葉で何度も私に語った。その時にどのような読書傾向なのかを聞き漏らしたのが今では少し残念に思われる。
 アントニオ猪木には「猪木詩集」がある。私はこのことを花田紀凱(かずよし)氏の発言で知った。氏は「角川書店在籍時にこの本を出版したところよく売れた」と言っていた。市立図書館から借り出した「猪木詩集」は第10刷だった。
 ゆったりと組まれた詩のそれぞれは素直な言葉により詩人のこころの声が聞こえてくるように、あるいは詩人のこころが織り込まれているように感じた。
 私が今までに愛誦した詩とはかなり傾向が異なっているが、自らの生活や場合によっては試合に関して書かれたこれらの詩は素晴らしい。中でもモハメド・アリ戦の後に行われたパキスタンの英雄アクラム・ペールワンとの闘いの経緯を描いた93行の「英雄」は私のこころを打った。
「それでいい」と題された詩では、次のように自らの今までを描いている。
 心の赴くままに/勝手気ままに生きてきた/人は言う/「誰もがうらやむ人生だ」と・・・/世の中そんなに甘くない/幾度 頭を下げてきたことか/幾度 涙を流してきたことか/その度ごとに/惨めな自分と出会ってきた/その度ごとに/尖った自分が削られてきた/でも人間は/坂道を登っている時には/頭を下げ/歩いていくもんだ/それでいいんだよ
「駄洒落の神様」は
 慌ただしかった一日が終わり/静かな時が帰ってきた/等身大の鏡の前で/裸の自分と向き合った/湯気に曇った鏡の中で/百面相よろしく/いろんな顔を作ってみる/怒った顔には怒った顔で/悲しい顔には悲しい顔で/笑った顔には笑った顔で/大きな鏡は答えてくれた/もしかして/かがみの真ん中/が(我)が取れたなら/心の真ん中に/かみ(神)が住む?
「馬鹿になれ」との副題の付されたこの詩集には、詩人の百瀬博教(ひろみち)氏の「まえがきに代えて―「非常識な友へ」という5頁の文章と「圧倒的な悲壮感と感受性」と題された7頁の詩人新川和江氏と百瀬博教氏の対談が載せられている。
 まえがきに代えての文章の中で、百瀬氏はアントニオ猪木が「敬語」をきっちりと使っていることに触れている。3歳年上で同じ2月 20 日生まれ血液型も同じ AB 型の百瀬氏をアントニオ猪木が誕生祝いに招待したときの電話は「猪木でございます。ぜひ御招待したいと思いまして FAX を差し上げました」で始まっていた。
「日本語よりポルトガル語の方が上手だった青年を、敬語の名手にさせたのは力道山だ」と書いている百瀬氏の言葉の真意を掴むのには少し苦労した。
 百瀬氏はこの言葉の後に19行を費やし、修行中の青年猪木に対する力道山の理不尽な暴力行為を書き連ね、最後にそれを正当化する力道山の言葉を書いた後で「言葉は虚しい。アントニオ猪木は益々『知性』を磨いた」と書いている。
 今まで知らなかったアントニオ猪木の一面を知った一冊だった。