一億円と千両箱
気楽に読んでいる江戸時代を対象とした小説には千両箱という名がよく現れる。最近のドラマではどうなっているのか知らないが、かつては千両箱を担いだ盗賊の姿をテレビ画面でよく見たものである。
千両箱の重さはいったいどの程度なのか、担いで塀を乗り越え、走って逃げることができる程度の重さなのか、くだらない疑問だと思いながらも気になっていた。
文部科学省は統計法に基づき社会教育調査として図書館、博物館、青少年教育施設など9種の施設について調査している。最新の調査結果である平成 27 年度調査では図書館数は 3,331 博物館及び博物館類似施設は合計で 5,690 となっている。
この博物館の一つに貨幣博物館がある。貨幣博物館はテレビ中継でおなじみの日本銀行本店正門の道路を隔てた反対側にあり、日本銀行金融研究所に属している。かつての私の勤務地のすぐ近くだが、現役時代にはついぞ入ったことはなかった。しかし、常に気にはなっていた。
リタイア後に東京に行った時、約束の時間に少し間があったので、ここを訪れた。開館時刻の 10 時少し過ぎに入館したが、入館料は無料。入場に際し住所氏名は要求されなかったが、住所地の都道府県名、同行人数(1人で行ったのでゼロの欄にチェック)を書面で提出。
誰も来ていないだろうと思ったのは浅はかな考えだった。1人あるいは数人のグループがポツリ、ポツリと現れ、展示場には常に20人ほどがいた。
小学生の観覧も予定されているのだろう、クイズやゲームを使った説明もあった。中で大人の私も興味を抱いたのは、千両箱や一億円の包みの重さを実感することであった。千両箱は25㎏、一億円の包みは重さ10㎏だそうだが、両者それぞれの模型を実際に手に取りその重さを実感することができた。一億円は簡単に持ち上がり、「ああ、これが一億円か」と思ったが、千両箱を持ち上げるには少し力が要った。
ところで千両箱に入っている小判は現在価値で幾ら位になるのだろう。小判といっても発行された時代により金の含有量が異なっているため、単純には計算できず、また現在価値に換算するときに、何を尺度にするのか、どの物価を基準にするのかによって異なることになる。はっきりとはしないものの1億円から2億円程度と考えられているようだ。
その他、日本銀行券偽造防止技術のすばらしいことや中世に中国から流入した銭貨(センカ、渡来銭)が使われるようになり商品経済が発展したことなどは興味を引いた。現在有効な銀行券が展示されている壁の前では「これは知っている」「子供のときに使った」などとグループで来た私と同年配の人たちが騒いでいた。
この展示により、千円札については最新(平成 16 年発行開始)のものは、その肖像は野口英世だが、昭和 59 年発行開始、平成 19 年発行停止のそれは夏目漱石、昭和 38 年発行開始、昭和 61 年発行停止のものは伊藤博文、昭和 25 年発行開始、昭和 40 年発行停止のそれは聖徳太子であることを改めて確認した。
現在ではそれほどの量が流通してはいないと思われるこれら発行停止のいずれかの紙幣についても、お釣りなどとして手渡されれば特に違和感なく受け取るだろうと思ったが、これは紙幣全体としての印象で理解したり記憶したりしている人間の不思議な能力によるのだろう。
たまには何の目的もなくこのような博物館に入り、ゆっくりと過ごすこともいいものである。ただ、いつも思うことだが、博物館や美術館に行くと足が疲れる。その点、図書館は小さく、体を休める椅子もあり足が疲れるということはない。
余談だが、私の机の引き出しには板垣退助の皺くちゃの 100 円紙幣が1枚眠っている。これは契約交渉のために来日した米国企業の法務部長から何十年も前に「この紙幣は使えるか?」と聞かれて、「使えるが、トラブルが生じるかもしれない。現行の 100 円硬貨に代えてあげる」と交換したものである。交換したものの私も使いようがなく、銀行の窓口で預金するのが最善の方法と思いながら時間が経過し、現在に至っている。
千両箱の重さはいったいどの程度なのか、担いで塀を乗り越え、走って逃げることができる程度の重さなのか、くだらない疑問だと思いながらも気になっていた。
文部科学省は統計法に基づき社会教育調査として図書館、博物館、青少年教育施設など9種の施設について調査している。最新の調査結果である平成 27 年度調査では図書館数は 3,331 博物館及び博物館類似施設は合計で 5,690 となっている。
この博物館の一つに貨幣博物館がある。貨幣博物館はテレビ中継でおなじみの日本銀行本店正門の道路を隔てた反対側にあり、日本銀行金融研究所に属している。かつての私の勤務地のすぐ近くだが、現役時代にはついぞ入ったことはなかった。しかし、常に気にはなっていた。
リタイア後に東京に行った時、約束の時間に少し間があったので、ここを訪れた。開館時刻の 10 時少し過ぎに入館したが、入館料は無料。入場に際し住所氏名は要求されなかったが、住所地の都道府県名、同行人数(1人で行ったのでゼロの欄にチェック)を書面で提出。
誰も来ていないだろうと思ったのは浅はかな考えだった。1人あるいは数人のグループがポツリ、ポツリと現れ、展示場には常に20人ほどがいた。
小学生の観覧も予定されているのだろう、クイズやゲームを使った説明もあった。中で大人の私も興味を抱いたのは、千両箱や一億円の包みの重さを実感することであった。千両箱は25㎏、一億円の包みは重さ10㎏だそうだが、両者それぞれの模型を実際に手に取りその重さを実感することができた。一億円は簡単に持ち上がり、「ああ、これが一億円か」と思ったが、千両箱を持ち上げるには少し力が要った。
ところで千両箱に入っている小判は現在価値で幾ら位になるのだろう。小判といっても発行された時代により金の含有量が異なっているため、単純には計算できず、また現在価値に換算するときに、何を尺度にするのか、どの物価を基準にするのかによって異なることになる。はっきりとはしないものの1億円から2億円程度と考えられているようだ。
その他、日本銀行券偽造防止技術のすばらしいことや中世に中国から流入した銭貨(センカ、渡来銭)が使われるようになり商品経済が発展したことなどは興味を引いた。現在有効な銀行券が展示されている壁の前では「これは知っている」「子供のときに使った」などとグループで来た私と同年配の人たちが騒いでいた。
この展示により、千円札については最新(平成 16 年発行開始)のものは、その肖像は野口英世だが、昭和 59 年発行開始、平成 19 年発行停止のそれは夏目漱石、昭和 38 年発行開始、昭和 61 年発行停止のものは伊藤博文、昭和 25 年発行開始、昭和 40 年発行停止のそれは聖徳太子であることを改めて確認した。
現在ではそれほどの量が流通してはいないと思われるこれら発行停止のいずれかの紙幣についても、お釣りなどとして手渡されれば特に違和感なく受け取るだろうと思ったが、これは紙幣全体としての印象で理解したり記憶したりしている人間の不思議な能力によるのだろう。
たまには何の目的もなくこのような博物館に入り、ゆっくりと過ごすこともいいものである。ただ、いつも思うことだが、博物館や美術館に行くと足が疲れる。その点、図書館は小さく、体を休める椅子もあり足が疲れるということはない。
余談だが、私の机の引き出しには板垣退助の皺くちゃの 100 円紙幣が1枚眠っている。これは契約交渉のために来日した米国企業の法務部長から何十年も前に「この紙幣は使えるか?」と聞かれて、「使えるが、トラブルが生じるかもしれない。現行の 100 円硬貨に代えてあげる」と交換したものである。交換したものの私も使いようがなく、銀行の窓口で預金するのが最善の方法と思いながら時間が経過し、現在に至っている。