エレジー
「田舎の墓地にて詠める悲歌」と日本語で書かれたトーマス・グレイの ELEGY が書庫の片隅から出てきた。著者は増田藤之助氏、発行所は研究社である。表紙に硬い紙が使われた僅か 43 頁の冊子は昭和36年発行で定価は130円。
若かりし頃に読んだか否かは覚えていないが、栞が挟まれていることから読んだように思われる。僅か43頁の冊子であることもあり、再度挑戦しようと読み始めたが、英和辞典と国語辞典さらには漢和辞典を参照しながらの難行苦行となった。
最初の4行は、春あるいは秋の夕景を紹介している。
The curfew tolls the knell of parting day,
The lowing herd slowly o’er the lea,
The ploughman homeward plods his weary way,
And leaves the world to darkness and to me,
であり、増田氏の訳は次のとおり。
夕鐘陰々日の暮れ去るを告ぐ
歸牛は吼えつつ遅々として野邉をたどり
耕夫は家路を指して疲れたる歩を運ぶ
天地冥黯吾れ獨り遺る
このように原文と訳文が最初に示され、その後に増田氏の解釈や翻訳文の基礎となった諸々の考え方・意見やその根拠が書かれている。
例えば最初に現れる curfew については「 curfew はむかし火や光を消して家々就寝すべき合圖として、夜の八時或は九時に鳴らされたる鐘、茲にては入相の鐘の意、此の語殆ど廃語に属すべかりしをグレーが之を用ひたるが為に、今にてもカァフュウといへば人をして此の悲歌の冒頭を憶ひ起こさしむるに至れり」という具合である。
更に「 weary は人に冠せしむべき形容を移して人の歩むところの道に冠せしめたる、修辭學に所謂 Transferred epithet にして、即ち『疲れたる道を歩む』とは『疲勞してとぼとぼと道を歩む』との意」と修辭學からの説明もある。
新体詩抄(明治15年発行)にも訳文があるのではないかと考え筑摩書房版の明治文學全集 60 巻(明治詩人集(一))を参照した。そこでは、矢田部良吉が「グレー氏墳上感懐の詩」として次のように訳している。
山々かすみいりあひの 鐘はなりつゝ野の牛は
徐に歩み歸り行く 耕へす人もうちつかれ
やうやく去りて余ひとり たそがれ時に殘りけり
インターネットを使い、現代文でこの詩を訳している人がいないかを調べた。訳者は誰だか不明だが最初の部分だけを訳したものが見つかった。
教会の塔の鐘は夕刻を告げ
草地で牛は鳴きつつ巡る
鋤き返しに疲れた農夫は家路を辿る
あとに残るのは闇とこの私だけ
三者三様の翻訳であり、それぞれに素晴らしいが、私には矢田部氏の七五調の訳が好ましく思われる。
この小冊子には何枚かのモノクロのスケッチが収められている。作者は誰とは書かれていない。一見すると、時代は異なるが、テレビの美術番組で何度もお目にかかったジョン・コンスタブルの絵をモノクロにしたような風景画である。イギリスの田舎の生活については何冊かの本で読んだ以外の知識はないが、この画を眺めていると何か懐かしさを覚える。
若かりし頃に読んだか否かは覚えていないが、栞が挟まれていることから読んだように思われる。僅か43頁の冊子であることもあり、再度挑戦しようと読み始めたが、英和辞典と国語辞典さらには漢和辞典を参照しながらの難行苦行となった。
最初の4行は、春あるいは秋の夕景を紹介している。
The curfew tolls the knell of parting day,
The lowing herd slowly o’er the lea,
The ploughman homeward plods his weary way,
And leaves the world to darkness and to me,
であり、増田氏の訳は次のとおり。
夕鐘陰々日の暮れ去るを告ぐ
歸牛は吼えつつ遅々として野邉をたどり
耕夫は家路を指して疲れたる歩を運ぶ
天地冥黯吾れ獨り遺る
このように原文と訳文が最初に示され、その後に増田氏の解釈や翻訳文の基礎となった諸々の考え方・意見やその根拠が書かれている。
例えば最初に現れる curfew については「 curfew はむかし火や光を消して家々就寝すべき合圖として、夜の八時或は九時に鳴らされたる鐘、茲にては入相の鐘の意、此の語殆ど廃語に属すべかりしをグレーが之を用ひたるが為に、今にてもカァフュウといへば人をして此の悲歌の冒頭を憶ひ起こさしむるに至れり」という具合である。
更に「 weary は人に冠せしむべき形容を移して人の歩むところの道に冠せしめたる、修辭學に所謂 Transferred epithet にして、即ち『疲れたる道を歩む』とは『疲勞してとぼとぼと道を歩む』との意」と修辭學からの説明もある。
新体詩抄(明治15年発行)にも訳文があるのではないかと考え筑摩書房版の明治文學全集 60 巻(明治詩人集(一))を参照した。そこでは、矢田部良吉が「グレー氏墳上感懐の詩」として次のように訳している。
山々かすみいりあひの 鐘はなりつゝ野の牛は
徐に歩み歸り行く 耕へす人もうちつかれ
やうやく去りて余ひとり たそがれ時に殘りけり
インターネットを使い、現代文でこの詩を訳している人がいないかを調べた。訳者は誰だか不明だが最初の部分だけを訳したものが見つかった。
教会の塔の鐘は夕刻を告げ
草地で牛は鳴きつつ巡る
鋤き返しに疲れた農夫は家路を辿る
あとに残るのは闇とこの私だけ
三者三様の翻訳であり、それぞれに素晴らしいが、私には矢田部氏の七五調の訳が好ましく思われる。
この小冊子には何枚かのモノクロのスケッチが収められている。作者は誰とは書かれていない。一見すると、時代は異なるが、テレビの美術番組で何度もお目にかかったジョン・コンスタブルの絵をモノクロにしたような風景画である。イギリスの田舎の生活については何冊かの本で読んだ以外の知識はないが、この画を眺めていると何か懐かしさを覚える。