本の読み方

本の読み方

啓(2023年2月1日)

 お粗末な話だが、本の読み方も年齢によって、人生経験によって変わる、という当たり前のことに気が付いた。
 書棚にあった「スイス賛歌 手作り熟年の旅」(高田信也、文芸社)を取り出した。この著者の手作り熟年の旅シリーズについては「アマチュアが書いた旅の本」というタイトルで2021年1月20日に少し紹介した。
 この本の処分に先立って、もう一度ざっと目を通した。頁を追いながら、ツアー旅行中の自由時間を利用してマッターホルンがいちばん美しく見えるスネガの展望台へ地下ケーブルカーを使って行き、そこでビールを飲みながら、心行くまでマッターホルンを眺めたことやツアー同行者と離れ、列車、ロープウェイ、電車、ケーブルカーを乗り継ぎ、遠くに数人の旅人の姿が見えるだけの「アルプスのお花畑」を独占し、カウベルの音を聞きながら散歩したことも思い出した。
 全頁を眺めたが、その時に以前には気に留めなかった幾つかの記述に目が止まった。
 著者は、はじめにとして14頁、あとがきとして6頁を使い、力を込めてその当時の日本の状況を憂えていた。「平和であるということは無条件に歓迎すべきことだが、モノが豊かで物質生活が満ち足りているということが、直ちに人間の幸せに結びつくかどうかについては、おおいに疑問がある。それに、世界が、本当に平和なのかどうかでさえ、怪しくなってきた」と書き、その後に、次のような文章を載せている。「とどまるところを知らない物質的欲望を充足させるために、飽くことなく経済成長を追求する先進国……年々進行する地球環境の変化……まさに歯止めのないままに驀進するこの地球」「私たち人間の住むこの小惑星は、かつて考えられたような無限のものではない」
 著者が「一人当たりの国民所得が世界一」であり「小国ながら『物心ともに豊かな国』」と考えているスイスを鏡としてささやかな比較文化論を展開していることに、今回の読み直しにより気が付いた。最初に読んだときは、併せて145歳の熟年夫婦が何回か訪れたスイス、しかもその内の1回は3ヶ月間の滞在、の旅行記として読んだようだ。
 これも読み手としての私の関心の差なのか、心の向く方向が変わったのか、個々の事件や事案よりもそれを含む全体、格好よく言えば物事を俯瞰する見方になったのか、いずれにせよ同じ本を読んでも読み方や読後感が変わるということに改めて気が付いた。「気が付くのが遅すぎる」という批判は甘受する。
 同じことは私が愛読し、保存対象としている幾つかの書物についても言えそうだ。今まで読み過ごしていた表現や言葉が違った意味、より広い見方を表していることもあるかも知れない。それに気が付かず読み飛ばしているとすれば残念である。