湖北の観音さま
今までに数多くの観音さまにお目にかかってきた。思い出すだけでもいろいろなお寺や展覧会で拝観した聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音があり、泉涌寺では楊貴妃観音、安曇野の道端ではそっと置かれた馬頭観音にお目にかかった。
仏教そのものや仏教美術には全く疎い私であるが、訪れたお寺では釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像、観音菩薩、文殊菩薩などの菩薩像を始め明王その他の仏像の前で手を合わせてきた。考えてみると多くの場合、何を祈るという気持もなく、我が家の仏壇に手を合わせるような気持で瞑目し合掌していた。
湖北の観音さまについては若い頃から気になっていた。「多くが僧侶もいないお堂にひっそりと祀られ、村人たちの素朴な信仰によって守られてきた」という文章がその理由だろう。
一度訪れたいと何度も思ったが、何に書いてあったか、どこで読んだか「それぞれがかなり不便なところにあること、管理をしている村人に予め連絡を取ってお堂の鍵を開けてもらう必要がある場合もあること」など京都や奈良のいわゆる観光寺院のような訳にはいかないことを知っていた。
それでも、いつかは訪れようと、県立長浜北高等学校の美術講師・椙村睦親さんの「湖北観音巡礼 観音の里」(睦画会)「十一面観音の旅」(丸山尚一,新潮社)「観音のきた道」(鎌田茂雄、講談社現代新書)「京都・滋賀 かくれ里を行く」(監修:木村至宏・森谷尅久、淡交社)などは目に付いたときに買っていた。これらの内の一冊には「湖北の観音」について書かれた1995年の新聞特集記事も挟まっている。
予めいろいろとアレンジし、タクシーをチャーターの上、幾つかの湖北の観音さまを拝もうと思ったことも幾度もあったが、具体的に計画することも無く現在に至っている。
最近では「十一面観音の旅」に収められた数多くの写真を眺め、その説明文を読み、「湖北観音巡礼」に描かれた歴史や言い伝え、土地の人びとが守っている習俗などに思いを馳せるだけになってしまった。
己高山石道寺(ここうざんしゃくどうじ、木之本町石道)は、江州伊香三十三所観音霊場の第三十三番目の札所であるが、ここの十一面観音は重要文化財に指定されている。椙村氏は「国鉄木ノ本駅から・・・(中略)・・・石道(いしみち)の部落に入ると道端に『石道寺案内所』の立札が立っております。そこが観音堂をお守りしておられる当番の家です。家並の東のはずれの神前(かみさき)神社参道石段を背にして北に入り山裾をめぐると、桜木立に囲まれた小さなお堂が見えます。このお堂が現在の己高山石道寺です」と訪問の道筋を丁寧に教えてくれる。
一方、丸山氏はそのお顔を「温かみに満ちた平安期の鮮やかな彩色像である。仏の威圧感など微塵も感じさせない。・・・仏の顔というより、さっき出会った石道の娘のふっくらとした顔にそっくりである。・・・(中略)・・・井上さん(同行の作家・井上靖氏)が嬉しそうに、一緒に拝みにきた村の娘さんたちの顔を見ながら『そっくりでしょう』と小声でぼくに呟(つぶや)かれたのを、よく覚えている」と書いている。
添えられた写真をみて私も丸山・井上両氏と同じように、健康的な、素朴な、初々しい娘さんを感じた。
湖北の観音さまが、現在でも、これらの書物に書かれたのと同じような状態でお祀りされているか否かは知らないが、過疎化現象の影響が観音の里のお祀りに及んでいないことを祈っている。
仏教そのものや仏教美術には全く疎い私であるが、訪れたお寺では釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像、観音菩薩、文殊菩薩などの菩薩像を始め明王その他の仏像の前で手を合わせてきた。考えてみると多くの場合、何を祈るという気持もなく、我が家の仏壇に手を合わせるような気持で瞑目し合掌していた。
湖北の観音さまについては若い頃から気になっていた。「多くが僧侶もいないお堂にひっそりと祀られ、村人たちの素朴な信仰によって守られてきた」という文章がその理由だろう。
一度訪れたいと何度も思ったが、何に書いてあったか、どこで読んだか「それぞれがかなり不便なところにあること、管理をしている村人に予め連絡を取ってお堂の鍵を開けてもらう必要がある場合もあること」など京都や奈良のいわゆる観光寺院のような訳にはいかないことを知っていた。
それでも、いつかは訪れようと、県立長浜北高等学校の美術講師・椙村睦親さんの「湖北観音巡礼 観音の里」(睦画会)「十一面観音の旅」(丸山尚一,新潮社)「観音のきた道」(鎌田茂雄、講談社現代新書)「京都・滋賀 かくれ里を行く」(監修:木村至宏・森谷尅久、淡交社)などは目に付いたときに買っていた。これらの内の一冊には「湖北の観音」について書かれた1995年の新聞特集記事も挟まっている。
予めいろいろとアレンジし、タクシーをチャーターの上、幾つかの湖北の観音さまを拝もうと思ったことも幾度もあったが、具体的に計画することも無く現在に至っている。
最近では「十一面観音の旅」に収められた数多くの写真を眺め、その説明文を読み、「湖北観音巡礼」に描かれた歴史や言い伝え、土地の人びとが守っている習俗などに思いを馳せるだけになってしまった。
己高山石道寺(ここうざんしゃくどうじ、木之本町石道)は、江州伊香三十三所観音霊場の第三十三番目の札所であるが、ここの十一面観音は重要文化財に指定されている。椙村氏は「国鉄木ノ本駅から・・・(中略)・・・石道(いしみち)の部落に入ると道端に『石道寺案内所』の立札が立っております。そこが観音堂をお守りしておられる当番の家です。家並の東のはずれの神前(かみさき)神社参道石段を背にして北に入り山裾をめぐると、桜木立に囲まれた小さなお堂が見えます。このお堂が現在の己高山石道寺です」と訪問の道筋を丁寧に教えてくれる。
一方、丸山氏はそのお顔を「温かみに満ちた平安期の鮮やかな彩色像である。仏の威圧感など微塵も感じさせない。・・・仏の顔というより、さっき出会った石道の娘のふっくらとした顔にそっくりである。・・・(中略)・・・井上さん(同行の作家・井上靖氏)が嬉しそうに、一緒に拝みにきた村の娘さんたちの顔を見ながら『そっくりでしょう』と小声でぼくに呟(つぶや)かれたのを、よく覚えている」と書いている。
添えられた写真をみて私も丸山・井上両氏と同じように、健康的な、素朴な、初々しい娘さんを感じた。
湖北の観音さまが、現在でも、これらの書物に書かれたのと同じような状態でお祀りされているか否かは知らないが、過疎化現象の影響が観音の里のお祀りに及んでいないことを祈っている。