新聞・雑誌のスクラップから

新聞・雑誌のスクラップから

啓(2022年12月28日)

 最近では新聞や雑誌はほとんど読まないが、それでも人に教えられたり、目に付いたりした文章は切り取り、順不同でクリアファイルに挟み込んでいる。長年の性だろうと苦笑せざるを得ない。
 このような結果溜まったスクラップを整理していたら、世界的ベストセラー「サピエンス全史」上下2巻の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が、2020年3月15日付TIME誌に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」が見つかった。
 これと併せて、2021年12月19日の読売新聞朝刊1面の「地球を読む」欄に掲載された山中伸弥京大IPS細胞研究所長(当時)の論稿「コロナが示す科学の課題」も。
 いずれも新型コロナウイルスに関連する文章との理由で切り抜いたに違いない。
「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか」についてハラリ氏は「今こそグローバルな信頼と団結を」と言う。
「感染症と人類の戦い」について

 過去に世界的規模で発生した黒死病(ペスト)、天然痘、1918年の悪性インフルエンザ(スペイン風邪)では多くの人が死んだが、その後はエイズやエボラ出血熱などの恐ろしい感染爆発はあったものの、21世紀に感染症で亡くなる人の割合は、石器時代以降のどの時期と比べても小さい。
 これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が隔離ではなく情報であるためだ。人類が感染症との戦いに勝ち続けてきたのは、病原体と医師との間の軍拡競争で、病原体がやみくもな変異に頼っているのに対して、医師は情報の科学的分析を拠り所としているからにほかならない。
 感染症の大流行の原因がいったん解明されると、感染症との戦いははるかに楽になった。予防接種や抗生物質、衛生状態の改善、医療インフラの充実などのおかげで、人類は目に見えない襲撃者よりも優位に立った。

と、天然痘の根絶の経緯を述べる。
「この歴史は、現在の新型コロナウイルス感染症について、何を教えてくれるのだろうか?」との問いには

 第一に、国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能であることを歴史は示している、第二に、真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成されることを歴史は語っている。

と述べ、
団結の例として

「1970年代に人類が天然痘を打ち負かすことができたのは、すべての国のすべての人が天然痘の予防接種を受けたからだ。たとえ1国でも国民に予防接種を受けさせることを怠っていたら、天然痘ウイルスがどこかに存在して変化を続けていたら、いつでもあらゆる場所に拡がりうるからだ。

という。

 今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。
 信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、将来、この種の大流行に繰り返し見舞われる可能性が高い。だが、あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい。

とハラリ氏は結論付ける。
 ハラリ氏の意見は尤もだ、と思う反面そのためには人類はもう少し賢明に、いま以上に賢明にならなければならない、と強く思う。
 山中伸弥京大IPS細胞研究所長(当時)の論稿「コロナが示す科学の課題」では研究成果の発信についての卓見というかマスメディアが現時点で全く忘れている基本的な事柄が落ち着いた淡々とした口調で述べられている。
 氏は、最初の21行を使って現時点での新型コロナウイルスの状況を「このオミクロン株に関する記述は、12月中旬での情報を基に出来るだけ正確を期したつもりである」との留保のもと纏められている。
 このように現在の状況を纏めながら、「半年後には全くの間違いであったということになるかもしれない」と現時点までの新型コロナウイルスに関する科学者の見解を次のように客観的に記述している。
 曰く「新型コロナウイルス発生当初、多くの科学者は、症状のない人がマスクをすることにはあまり意味がないと考えた。効果的なワクチンが迅速に開発され1年以内に接種が始まると考えた研究者はあまりいなかった。デルタ変異株による我が国の第5波が急激に終息すると予測できた研究者も少数だった」。
 確かに山中教授の言われるように、マスメディアに登場した専門家と紹介された科学者は全て「マスクは感染者が他人を感染させないためのもので予防には意味がない。ワクチンは早急には開発されない。各国の状況から判断してデルタ株による第5波は早急には終息しない」と声を大にして発言していた。
 山中教授は「これが科学の限界であり、課題である」と書き、そして「科学者として自らの限界を認識し、謙虚になることの重要性を再認識する機会となった」と続ける。
 この「謙虚になることの重要性」について、教授は「情報の確からしさは明確に区別されずに伝わっていることも多いと思う」と遠慮がちに書かれているが、この文章の前に「科学の成果は多くの過程を経て検証される。生命科学においては最初の実験に成功したのち、①自ら何度も再現性を検証し、②論文として投稿し、数人の専門家による検証(査読)を受け、③論文公表後は世界中の多くの研究者による検証を受けることにより、成果の“確からしさ”が増す」と書かれている。
 山中教授はその論稿の後半において、研究結果を迅速に、分かりやすく、確からしさとともに伝えることについて「いま情報の発信に際して必要なことは、いたずらに多くの情報を発信することではなく、その確からしさを伝えることにある」とされる。
 マスメディアには山中教授のこの発言を尊重してもらいたいと思うと共に、情報の受け手である我われもその「確からしさ」につき常に思いを致すことが必要だろう。
 以上は二つのスクラップを処分するに際しての記事に対する弔辞である。