「一人でぽつんと生きればいい」

「一人でぽつんと生きればいい」

KEI(2022年8月17日)

 我が国の高齢化現象の象徴のように毎日の新聞には著名な老齢者が著者となっている書籍の広告が並んでいる。
 目に付いただけでも佐藤愛子さんは「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」、五木寛之さんは「捨てない生き方」、樋口恵子さんは「老いの福袋」を発刊されている。
 90歳近くあるいは100歳になろうという著者が、人に読んでもらえる文章、出版社が出版を考える文章を書かれる能力と知力には脱帽する。老害を撒き散らしているとの批評、非難はあまり聞こえてこない。
 偶々2021年11月発行の「一人でぽつんと生きればいい」(祥伝社)を図書館の返却本一時保管棚で見つけたので借り出した。1931年生まれの曽野綾子さんの文章がどのようなものかを知りたいという野次馬根性があったことは否定しない。
 同書の最終頁には「小説NON」の2019年1月号から2020年12月号までの連載「猫のいる家」を改題したもの、書籍化するにあたり加筆修正したもの、とあった。
 ということは、これらの文章は約2年前の曽野さんが88歳の頃の作である。
 この文章もパソコンを使って書かれたものに違いない。かつて読んだ文章で曽野さんはいち早くパソコンを導入し、それで小説を書いていることを告白されている。小説家がパソコンを使い文章を書くことに関し、文章の質が変わることその他賛否諸々の意見が世上を賑わしていた頃の話である。
 ちょっとひねった内容が解りやすく達者な文章で書かれているのには、流石だと思ったが、対象とされるのが日常茶飯事であることもあり、少しもの足りなく感じたのは事実である。
 「しかし・・・(前略)・・・私は自分がどうにもできない世界については、深く憎しみもせず、問題が解決しないからと言って腹を立てもしなくなった。世界や地球というものは、初めから矛盾だらけなのだ。・・・(中略)・・・理由は簡単だ。個々の矛盾に、人間は丁寧に相手をしていられないからなのだ。つまり放っておくのだ。すると人間の浅知恵で、解決しようとした場合よりも、はるかに穏やかで円満な方法で問題がなくなっている場合が多い」(53頁)
 「人間が本気で取り組む仕事は、どれも『一人でぽつんと』なのである。そしてそれが一人でぽつんといることを運命づけられた人の担う任務だと思う。運命は、合議制では理解できないものなのだ」(130頁)
 これらの文章が私がちょっと気が付いたものだが、かつてはもう少し毒があり、切れ味が鋭かったように思われる。
 それにしても家庭の中で猫と暮らしながらも、このような起承転結があり、ちょっと考えさせられる内容を含んだ文章を書かれる曽野さんの知力に感心する。若い頃からの蓄積がものをいっているのだろう。