「本を選ぶ」ということ-子どもの本

「本を選ぶ」ということ-子どもの本

けふばあちゃん(2022年6月5日)

 20年くらい前のことだったでしょうか?文庫仲間の若い友人が、京都三条河原町にあった漫画専門店に連れて行ってくれたことがあります。
 ビルの2階だったか、3階だったか?上がっていくと、そこはすべて漫画。少年漫画に少女漫画、私の知らない作家ばかり、どれがいいのやら、おもしろいのやら、さっぱりわかりません。手塚治、白戸三平、藤子不二雄、…それくらいしか知らなかったのですから。
「この中から、文庫にもし置くとしたら、どれを置く?選んでみて!」と、漫画に詳しい彼女に言われて、しばらく、あちこち書架の間をキョロキョロ、うろうろ、…結局、選べなくてギブアップしてしまいました。
「ねっ、た~くさんの知らない本の中で、どれでも選べって言われても、困るでしょ。子どもたちにとって、本屋さんや図書館で本を選ぶって、今の乾さんの気持ちと一緒だよ」
 なるほど、よく分かる。幼い子どもたちには、大人が選んだ本から与えるべき。それも最初は2冊か3冊の中で。
「今日は、どれを読む?どっちにする?」と、息子たちが幼い時は、そうやって息子の選んだ本を読んでいました。(その前に私が選んでいるのだけれど、息子は自分で選んだと思って、満足していたのです。)
 大津に越してきて、図書館に行くようになった時は、それぞれに好きな本を選ぶようになっていました。もっとも図書館の本は、司書さんによって選ばれた本が並んでいるので、安心でもありました。
 でも、子どもたちは自分で本を選ぶことはできないのでしょうか?
 初孫が、1歳になって少し経った頃だったでしょうか?まだヨチヨチ歩きの頃だったとおもいます。文庫の絵本の棚から一冊の絵本を抜き出して、私のところに持って来て「ウ、ウン」と突き出して膝の上に乗っかってきたことがあります。
『くまは どこ?』シャーロット・ポメランツ作・バイロン・バートン絵・谷川俊太郎訳という本でした。
 ユネスコ子どもの本100冊というキャンペーンでいただいた本で、私が選んだ本でなかったので、あまり手に取ることのなかった絵本でした。1歳の孫が選んできた本を、その後何度も何度も読まされることになり、他の子どもたちにも人気の一冊となりました。
 松岡享子さんの『子どもと本』の中に、こんな部分がありました。
「図書館で子どもたちが本を選ぶ様子を見ていて感心するのは、幼い子どもほど、選ぶのに迷いがないことです。表紙を見せて並べてあるのは、絵を見て選んでいるのだろうと思うのですが、背文字だけを見せて、棚にびっしり並んでいる本のなかからも、”自分の”一冊を探し出します。字が読めないのにどうして?と、ふしぎに思うのですが、何か第六感のようなものがあるのかもしれません。」
 まさに、孫の場合も、背文字だけを見て選んでいたので、私は「どうしてこれを?」と不思議で仕方がありませんでした。この本を読んだとき、(そうなんだ!子どもの第六感かぁ)と、妙に納得してしまいました。
「本を選ぶ」ということ、個人の場合と図書館の場合は、ちょっと違うかもしれませんが、『子どもと本』の中で「ひとりの人がおもしろいと思った本を、ひとりの子どもと分かち合う、それが基本だと思います」と、そして、このように書いていらっしゃいます。
「だれかに本を選ぶときに働くのは、基本的に親切心――多少のおせっかいのまじった愛情ーーだと、わたしは思っています。人は、美しいものを見た時、おいしいものを食べたとき、おもしろい出来事に遭遇したとき、家族であれ、友人であれ、愛するものに、同じものを見せてやりたい、食べさせてやりたい、その話をしてやりたいと願うものです。それと同じことです。自分の心に深く訴える本、自分の目を開かせてくれた本、たのしい思いを味わわせてくれた本があるなら、その体験をだれかと分かち合いたいと願うのは自然なことです。それが選ぶという行為になるのです」
(うん、うん、そうだ。そうだ)と思いながら読みました。そして、小学生の孫をつかまえて、「『ビーザスとラモーナ』めっちゃおもしろかった。HちゃんとKちゃんみたいだった。読んでみない?」と、おせっかいな愛情をおしつけております。