漢語だから誤読

漢語だから誤読

KEI(2022年3月16日)

 書庫で処分すべき本を選び出していたところ、呉智英さんの「言葉の常備薬」(双葉社)が目に止まった。同時に何新聞だったかは覚えていないが新聞の書評欄で知り買い求めたことや、新幹線車中で興味深く読んだことも思い出した。
 処分対象の場所に移動させる前にチラッと目を通したところ「漢語だから誤読」という私が今でも覚えている話が目についた。
 この全文4頁の文章は有名な一高寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」を例に挙げて、多くの人の誤解を述べつつ「我々は漢語調の文章に会うと、つい荘重や風格や品位を感じ取ってしまう」と警鐘を鳴らしている。
 呉さんは「嗚呼玉杯に花受けて」の第一番の歌詞を示した後、「さて、ここで問題です。玉杯に花びらを浮かべたり、緑酒に月影を落としたりしている人は誰でしょう。①理想に燃える一高生。向ヶ丘の寮の庭で学友と酒を酌み交わして天下国家を論じているのだ。②愚民俗人ども。天下を憂うることなく、花見酒や月見酒に浮かれ、太平の夢にふけっている」と質問を投げかける。
 そして「正解は②である」と教えてくれ「この歌を愛唱する大多数の人が①だと思っているけれど、歌詞を慎重に読めば②の意味であることは明らかだ」と続ける。
 念のためその歌詞は次のようなものである。
 嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影宿し 治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て 向ケ岡にそそり立つ 五寮の健児意気高し
 更に、なぜこのような誤解が生じるのかについて「まず、この歌の題名が誤解を生みやすい。歌詞の中で否定的に歌われていることが題名になっているとは、普通思わない。しかも、それが荘重な漢語で『嗚呼』だの『玉杯』だのと書かれているものだから、当然のように肯定的に称揚しているものだと思ってしまう」と解き明かす。この説明は納得がゆく。
 「我々は漢語調の文章に会うと、つい荘重や風格や品位を感じ取ってしまうのだ」と書かれていることにも同意する。
 呉さんのご意見は「おっしゃることはごもっとも」と頭では理解できる。しかし、多くの人が誤解しているように「五寮の健児も玉杯で緑酒を飲みつつ天下国家を論じている」、と読んでもいいのではないか、読むことはできないのだろうか、とも考えてしまう。
 誤解ということから、子供たちが間違って理解している歌詞を幾つか思い出した。
 その一つは「重いコンダラ」である。かつて子供たちに人気のあった「巨人の星」の主題歌の第一番は「思いこんだら試練の道を 行くが男のど根性 真っ赤に燃える 王者のしるし 巨人の星をつかむまで 血の汗流せ涙をふくな 行け行け飛雄馬どんと行け」であるが、この最初の「思い込んだら」を野球少年たちは「重いコンダラ」と考えた。
 その結果、「コンダラ」とは「グランド整備などに使う整地用手動式ローラー」を言うとそれこそ思い込んだという。巨人の星が一世を風靡していた頃の話である。
 本当にそうなのかとグーグルの検索欄に「コンダラ」と打ち込んだところ「手動式整地ローラーの俗称」とあった。
 「重いコンダラ」を笑うことはできない。同じようなことは、私は三木露風の「赤とんぼ」で経験している。
 私は幼い頃「夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か 山の畑の桑の実を 小籠(こかご)に摘んだはまぼろしか・・・」の第一文の後半の「負われて」を「追われて」と勘違いしていた。長い間「追われて」と思っていた。網を持った子供たちに「追われて」いる赤とんぼをイメージしていた。
 この話を妻にすると「そんなこと・・・文脈からしてもおかしい」と笑われたが、「負われて」が「姐やに背負われて」だと気が付いたのはかなり経ってからだった。