岸和田の姫
岸和田の姫、と聞いて直ぐに平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」を思い出された方もいらっしゃりそうだ。
書庫を整理していたら読書家・蒐集家・蔵書家としても有名なお二人、書誌学者故谷沢永一さんと英語学者故渡辺昇一さんの共著「人生の後半に読むべき本」(PHP研究所)が目に付いた。人生の“後半”というよりも“終盤”に近い私であるから、「いまさら」という気持を抱きつつも、処分に先立って、かつて私が引いた蛍光ペンのサイドラインを懐かしみながら、ざっと目を通した。
その中に、平岩弓枝さんとその著作について言及している文章があった。そこでは「空想、江戸、そして人間がとにかく好感が持てるという点で、それを現在、継いでいるのは平岩弓枝ですね。・・・現役の人が書くなかではやはり時間を快適に過ごす最上の本です」として、平岩さんの著作「御宿かわせみ」を「人生、社会ということに関係なくても、江戸情緒、季節感、それからほのかな人間の好意、人柄のよさなど、読んでいて決して悪い気分になりません」(106頁~107頁)と紹介している。
谷沢さんのこの文章については全く覚えていないが、その内容については同感する。私が全巻を揃え、保存対象としている理由もこのとおりである。「御宿かわせみ」シリーズの短編は全て好ましいが、中でも私が一番好きなのは、第12巻「夜鴉おきん」に含まれている「岸和田の姫」である。
内容やその場の描写、登場人物の発言の多くを記憶しているほどである。
病んでいる老師を見舞にでかけた主人公が、ひょんな経緯(いきさつ)から泉州岸和田五万三千石の大名の姫君を助ける。老師宅に滞在している間、主人公は何度か姫君の話し相手をさせられる。姫君は好奇心が旺盛で町方の話を根掘り葉掘り主人公に聞く。
主人公が屋敷へ帰ってしばらく経った頃、大名の家臣が主人公を訪れ、姫君の「一度でよいから自由に江戸の町へ出てみたい」という希望を叶えて差し上げたい、殿も承知である、殿は本年お国入りでその際にはお輿入れの御支度のため姫君を同行される、姫君には二度とこのような機会はない、ぜひともご助力を賜りたい、という。
姫君は家臣に「大川を眺めたい。永代橋を渡ってみたい。深川の長寿庵へ参って、蕎麦を食べてみたい。木場と申すものをみたい。自身番・・・町廻りをされる定廻りの様子を他ながら、見たい・・・」と言ったそうだ。これを聞いた主人公は絶句したが、これらは主人公が姫君に話した市井の風物であった。
町娘の姿に変えた姫君は主人公とその友人の蘭方医と共に江戸市中の散策を楽しみ、長寿庵で蕎麦を食べ、富岡八幡で鳩笛を買い、向島の桜を川から愛でた。
途切れ途切れに、懸命に姫君が吹く鳩笛の音がこの短編の最後の場面である。最初に読んだ時もそうだったが、今回も不覚にも涙を流した。
書庫を整理していたら読書家・蒐集家・蔵書家としても有名なお二人、書誌学者故谷沢永一さんと英語学者故渡辺昇一さんの共著「人生の後半に読むべき本」(PHP研究所)が目に付いた。人生の“後半”というよりも“終盤”に近い私であるから、「いまさら」という気持を抱きつつも、処分に先立って、かつて私が引いた蛍光ペンのサイドラインを懐かしみながら、ざっと目を通した。
その中に、平岩弓枝さんとその著作について言及している文章があった。そこでは「空想、江戸、そして人間がとにかく好感が持てるという点で、それを現在、継いでいるのは平岩弓枝ですね。・・・現役の人が書くなかではやはり時間を快適に過ごす最上の本です」として、平岩さんの著作「御宿かわせみ」を「人生、社会ということに関係なくても、江戸情緒、季節感、それからほのかな人間の好意、人柄のよさなど、読んでいて決して悪い気分になりません」(106頁~107頁)と紹介している。
谷沢さんのこの文章については全く覚えていないが、その内容については同感する。私が全巻を揃え、保存対象としている理由もこのとおりである。「御宿かわせみ」シリーズの短編は全て好ましいが、中でも私が一番好きなのは、第12巻「夜鴉おきん」に含まれている「岸和田の姫」である。
内容やその場の描写、登場人物の発言の多くを記憶しているほどである。
病んでいる老師を見舞にでかけた主人公が、ひょんな経緯(いきさつ)から泉州岸和田五万三千石の大名の姫君を助ける。老師宅に滞在している間、主人公は何度か姫君の話し相手をさせられる。姫君は好奇心が旺盛で町方の話を根掘り葉掘り主人公に聞く。
主人公が屋敷へ帰ってしばらく経った頃、大名の家臣が主人公を訪れ、姫君の「一度でよいから自由に江戸の町へ出てみたい」という希望を叶えて差し上げたい、殿も承知である、殿は本年お国入りでその際にはお輿入れの御支度のため姫君を同行される、姫君には二度とこのような機会はない、ぜひともご助力を賜りたい、という。
姫君は家臣に「大川を眺めたい。永代橋を渡ってみたい。深川の長寿庵へ参って、蕎麦を食べてみたい。木場と申すものをみたい。自身番・・・町廻りをされる定廻りの様子を他ながら、見たい・・・」と言ったそうだ。これを聞いた主人公は絶句したが、これらは主人公が姫君に話した市井の風物であった。
町娘の姿に変えた姫君は主人公とその友人の蘭方医と共に江戸市中の散策を楽しみ、長寿庵で蕎麦を食べ、富岡八幡で鳩笛を買い、向島の桜を川から愛でた。
途切れ途切れに、懸命に姫君が吹く鳩笛の音がこの短編の最後の場面である。最初に読んだ時もそうだったが、今回も不覚にも涙を流した。