「東海道五十三次をよむ」
現役の頃、京都に単身赴任している後輩に誘われて京都から大坂(大阪)までの東海道の一部を歩いたことがある。真夏の日曜日、ペットボトルを何本も空にし、JR京都駅を出発点に淀宿、枚方宿を過ぎてJR高槻駅まで歩いた。後輩は手にしたメモを見ながらいろいろと説明してくれたが、淀城の石垣以外は何も覚えていない。
上の文章をお読みになった殆どの人は「ん?」と思われただろう。東海道は京都三条大橋が始発点であり終着点であることは我われの常識である。大坂まで続く筈はない。
後輩は私の疑問に対し「東海道は、一般的には江戸と京を結ぶ、品川宿~大津宿の五十三次を言うとされているが、かつては伏見・淀・枚方・守口の4宿場を含め、五十七次で江戸~大坂を結ぶ街道だった。しかし、京と大坂の区間は、京街道、大坂街道などと呼ばれていたことや歌川広重や十返舎一九の作品で東海道五十三次の呼称が広まったため、東海道とは別の街道と思われるようになった」と概略このように教えてくれた。記憶によると確かこのような説明だった。
図書館のホームページの新着本案内の欄で「東海道五十三次をよむ」(鈴木健一編、三弥井書店)を見つけ、予約手続を取った時、何十年か前に後輩から聞いたこの話を思い出した。
この本は、編者の鈴木健一氏を始め、17人の学者や学者の卵(失礼)が、東海道五十三次のそれぞれの場所においてテーマを定め、江戸時代の文学を中心に興味深い10数頁の文章を書いている。それぞれに脚注や参考文献も付されており小論文集の趣がある。
例えば、小田原宿では「小田原のういろうは何に効くのか」を主題とし、小田原ういろうの歴史を紹介し、歌舞伎の“外郎(ういろう)売”の科白や“透頂香”(とんちんこう、ういろうの別名)に関連する江戸文学を取り上げている。ここで言われているういろうは、和菓子のういろうではなく「仁丹に似た小田原地域の大衆万能薬」のことである。
東海道最大の宿場町であった宮宿、桑名宿ではこの両宿の間の渡しである七里の渡しについて「七里の渡し、どんな船旅だったのか?」をテーマに、船賃や航路、さらには天候と船旅の不安、船酔の対策と船上の楽しみ、についてシーボルト等外国人の日記を含む各種の文献を紹介しながら検討している。
これらに加えて、1頁が上下2段に分けられたスペースの10行程の文章で、53の宿場と日本橋、三条大橋を要領よく紹介している「コラム 五十三次さまざま」もある。
最近、長編を読む気力が衰えたと感じている身にとっては、小編の集積でありつつ一貫したテーマで編まれているこの本は結構読み易く楽しめた。
上の文章をお読みになった殆どの人は「ん?」と思われただろう。東海道は京都三条大橋が始発点であり終着点であることは我われの常識である。大坂まで続く筈はない。
後輩は私の疑問に対し「東海道は、一般的には江戸と京を結ぶ、品川宿~大津宿の五十三次を言うとされているが、かつては伏見・淀・枚方・守口の4宿場を含め、五十七次で江戸~大坂を結ぶ街道だった。しかし、京と大坂の区間は、京街道、大坂街道などと呼ばれていたことや歌川広重や十返舎一九の作品で東海道五十三次の呼称が広まったため、東海道とは別の街道と思われるようになった」と概略このように教えてくれた。記憶によると確かこのような説明だった。
図書館のホームページの新着本案内の欄で「東海道五十三次をよむ」(鈴木健一編、三弥井書店)を見つけ、予約手続を取った時、何十年か前に後輩から聞いたこの話を思い出した。
この本は、編者の鈴木健一氏を始め、17人の学者や学者の卵(失礼)が、東海道五十三次のそれぞれの場所においてテーマを定め、江戸時代の文学を中心に興味深い10数頁の文章を書いている。それぞれに脚注や参考文献も付されており小論文集の趣がある。
例えば、小田原宿では「小田原のういろうは何に効くのか」を主題とし、小田原ういろうの歴史を紹介し、歌舞伎の“外郎(ういろう)売”の科白や“透頂香”(とんちんこう、ういろうの別名)に関連する江戸文学を取り上げている。ここで言われているういろうは、和菓子のういろうではなく「仁丹に似た小田原地域の大衆万能薬」のことである。
東海道最大の宿場町であった宮宿、桑名宿ではこの両宿の間の渡しである七里の渡しについて「七里の渡し、どんな船旅だったのか?」をテーマに、船賃や航路、さらには天候と船旅の不安、船酔の対策と船上の楽しみ、についてシーボルト等外国人の日記を含む各種の文献を紹介しながら検討している。
これらに加えて、1頁が上下2段に分けられたスペースの10行程の文章で、53の宿場と日本橋、三条大橋を要領よく紹介している「コラム 五十三次さまざま」もある。
最近、長編を読む気力が衰えたと感じている身にとっては、小編の集積でありつつ一貫したテーマで編まれているこの本は結構読み易く楽しめた。