ビブリオエッセー

ビブリオエッセー

KEI(2021年6月9日)

 産経新聞夕刊の一面下段に「私の一冊 ビブリオエッセー」という読者投稿欄がある。そこには600字程度に纏められた、本についてのさまざまな切り口からの文章が掲載されている。「投稿はペンネーム可」とされているが、多くの方は実名で書かれている。
 最近では、視力の衰えもあり、新聞記事については特に気になっている事件や問題以外は、「見出し」だけで済ませているのが現状である。「見出し」は必ずしも内容を正しく表現していないと言われており、事実そのとおりだとは思うが、この点については「記事全体を読まない私が悪い」と割り切っている。
 このような私であるが、このビブリオエッセー欄は比較的丁寧に読み、時には妻と感想を述べあったり、表現について意見を交換したりしている。
 投稿者の年齢は10代、20代の若者から70代、80代の年配者まで様々であるが、それぞれが取り上げている書物には大きな特徴がある。壮年者を含む若者が対象としている多くは私の知らない書籍であり作者である。一方、年配者あるいは老齢者が対象としている本は私が読んだか否かを別にして、殆ど全ての書名や作者名は私にとって親しい書物である。
 若者が、私にとって親しい書物を取り上げて書いているのに出会うと何となく嬉しくなるとともにエッセイに書かれている内容が気になる。心の中で私の理解や感想と私が読んだ年齢を比較してしまう。
 私と同年配の方が取り上げられている書物についての文章は、あまり違和感なく読めるのは、やはり生活してきた時代や人生経験というものが理解力を含めた読書行動に及ぼす影響が大きいのだろう、と理由もなく思ってしまう。過去の読書を思い出して書かれている文章、再読した感想が書かれている文章とエッセイの内容は様々であるが、押し並べて投稿者の心情が理解できる。
 人生の方向を決めるに際し大きな役割を果たしたと書かれている文章や失意の時に心の慰めを得たと書かれているコメントを読むと、そのような本を持っていない私は少し羨ましく思うが、ある意味幸せな人生を送ってきたことになるのだろうか。
 このような私でも、心が鬱屈したときやちょっとした励ましが欲しいとき、あるいは心に余裕を持ちたいときなどには、迷わず手にする何冊かの書籍がある。必要部分についてはほとんど暗記しているこれらであっても、現実に活字を追い、考えることにより心の平穏・平安を取り戻す。
 この欄に掲載して下さった拙文はある意味で私の「ビブリオエッセー」なのかもしれない。