「信長の棺」
私がこの本、加藤 廣さんの「信長の棺」(上下、文春文庫)を買ったのには、今思い出すと、どうも著者に理由があったようだ。
それは著者が元々は小説家ではなく、中小企業金融公庫(現日本政策金融公庫)に勤務後、経済研究所顧問、大学講師等を経て経営コンサルタントとして独立された人物であることとその人物が75歳にして初めて世に問うた小説であることだったことにある。
買ってから小泉純一郎元首相が絶賛したとか、元首相の愛読書だとか報道されていたことを知った。これらの報道の結果、一気にベストセラーになったそうだ。
本能寺の変を巡る諸々については、未だに多くの謎があり、多くの学者、研究者や巷の歴史愛好家が多くの意見を出している。
なぜ信長の遺骸が見つからなかったのか、光秀の謀反は衝動的なものだったのかそれとも計画的なものだったのか、秀吉はなぜあれほど早く毛利と和睦でき、山陽道を「中国大返し」できたのか等々、現在でもいろいろと疑問が残っている。
「信長公記」を書いた太田牛一を主人公に加藤さんはいろいろと想像を巡らし、事実を解釈し、話を進める。加藤さんのこの本を一言で言えば「太田牛一が『信長公記』を書いていく様と行方が分からない信長の遺骸を捜す過程を描く物語である」あるいは「太田牛一の目を通して、本能寺の変を見つめた一冊である」となるのだろう。
巻末には参考文献として、「信長公記」を始めとして、人物、東洋思想、キリスト教、地理と経済、建築、城、土木、植物、芸術、天文と10のテーマで合計32冊が掲げられている。
土木では「明治以前土木史」と「トンネル」が参考文献として掲げられているが、「本能寺には秘密の地下道が掘られていて、万が一、敵に襲われたときにはその地下道を通って、約70間ほど離れた南蛮寺へと逃れる手はずが整えられていた」と書くために加藤さんは当時のトンネルの掘り方やトンネルの歴史まで調べられたのだろう。
久し振りに再読したが、忘れていることも多く、新鮮な気持ちで読み進めることができたのは「忘却の功徳」か。それでも本筋から少し離れてそこここに描かれている挿話についてはかなり正確に覚えており、記憶の不思議さに少し驚いたことである。
それは著者が元々は小説家ではなく、中小企業金融公庫(現日本政策金融公庫)に勤務後、経済研究所顧問、大学講師等を経て経営コンサルタントとして独立された人物であることとその人物が75歳にして初めて世に問うた小説であることだったことにある。
買ってから小泉純一郎元首相が絶賛したとか、元首相の愛読書だとか報道されていたことを知った。これらの報道の結果、一気にベストセラーになったそうだ。
本能寺の変を巡る諸々については、未だに多くの謎があり、多くの学者、研究者や巷の歴史愛好家が多くの意見を出している。
なぜ信長の遺骸が見つからなかったのか、光秀の謀反は衝動的なものだったのかそれとも計画的なものだったのか、秀吉はなぜあれほど早く毛利と和睦でき、山陽道を「中国大返し」できたのか等々、現在でもいろいろと疑問が残っている。
「信長公記」を書いた太田牛一を主人公に加藤さんはいろいろと想像を巡らし、事実を解釈し、話を進める。加藤さんのこの本を一言で言えば「太田牛一が『信長公記』を書いていく様と行方が分からない信長の遺骸を捜す過程を描く物語である」あるいは「太田牛一の目を通して、本能寺の変を見つめた一冊である」となるのだろう。
巻末には参考文献として、「信長公記」を始めとして、人物、東洋思想、キリスト教、地理と経済、建築、城、土木、植物、芸術、天文と10のテーマで合計32冊が掲げられている。
土木では「明治以前土木史」と「トンネル」が参考文献として掲げられているが、「本能寺には秘密の地下道が掘られていて、万が一、敵に襲われたときにはその地下道を通って、約70間ほど離れた南蛮寺へと逃れる手はずが整えられていた」と書くために加藤さんは当時のトンネルの掘り方やトンネルの歴史まで調べられたのだろう。
久し振りに再読したが、忘れていることも多く、新鮮な気持ちで読み進めることができたのは「忘却の功徳」か。それでも本筋から少し離れてそこここに描かれている挿話についてはかなり正確に覚えており、記憶の不思議さに少し驚いたことである。