「芭蕉発句新注」

「芭蕉発句新注」

KEI(2021年4月21日)

 新型コロナウイルス問題で外出を自粛していた期間に、安東次男さんの「芭蕉発句新注」(筑摩書房)を読んだ。この本は、私が勝手に読書の師と思っているある読書人の書物で激賞されており、かなり以前に買ったものである。購入後直ぐに読み始めたが、最初の2~3句を読んだところで、とても私の知識や能力は及ばない、対抗できない、読み解くことはできない、と諦めた記憶がある。
 今回、時間をかけてゆっくりと目を通したのだが、それでも著者の言わんとするところ、著者の意図が充分に理解できたとは思っていない。私の知識不足、感性の至らなさを感じただけである。
 有名な「よく見れば薺(なづな)花さく垣ねかな」についての説明を取り上げてみよう。
 安東さんは、この句を次のように説明する。
 まずナズナについて、正月の若菜を代表する草だが、七草のなかで一番早く咲き始める。見つけるといよいよ春だという実感が湧く、と春の訪れを感じる草であることを言う。続いて、多くの鑑賞者が見落としているナズナの生態に触れる。
 そもそもナズナは平地の日あたりの良い場所を好む。垣根などにふさわしいのは七草ならばハコベの方だ。まさか、こんなところにも、というおどろきが初五文字に出ている。「物の性質をよく知っていてもなおかつ虚をつかれた、というところがみそである」と。
 この説明に続いて多くの人の「思弁的に云いつくろう」評釈を「血の通わぬ解釈」と具体的に批評する。
 次いで、季語やこの句に関連する後人の作品を披露してくれる。例えば「薺(摘、打、粥)という新年の季語は古くからあるが、薺の花は元禄頃までの歳時記には見当たらない」とし、ナズナの花が取上げられるようになったのは「芭蕉が面白く詠んでみせたからだろう」と言う。
 さらに、この句を踏まえて、其角の「うすらひやわづかに咲る芹(せり)の花」や蕪村の「妹が垣ね三味線草の花咲ぬ」というような「一趣向のある句が生まれてくる」といった具合である。
 至れり尽くせりの解説である。
 話は横にそれるが、先般第11号が発行された私たちの研究会の会報の名前は「なずな」である。その名の由来はこの句にあるとは発案者の言。これが一例とは言わないが、この句は多くの人に愛されているのだろう。が、果たして安東さんが解き明かして下さったような理解をしている人はどれほどか。
 この書に納められた句は137。それぞれについて1~3頁の緊張感ある文章での評釈が続く。学校で習ったりその後知ったりした芭蕉の句は多いが、その全てについて新しい見方を教えてくれた。一句一句を丁寧に時間をかけて読み、考えるに相応しい一冊である。
 著者がお書きになった内容をすべて理解したとはとても言えないが、知的格闘をするとともに知的興奮を覚えた一冊であった。