「知らない日本語 教養が試される341語」
テレビ画面で「甚だ遺憾に存じます」と言う言葉とともに頭を下げる人物が写っているのを見ると、この人物はお詫びをしているのか、それとも思い通りにならず残念な気持ちを言っているのか、若干の皮肉を込めて気になる。
そもそも「遺憾」と言う言葉は「諦めきれない心情」を表わす言葉であり、思いどおりにならず、心残り、残念、惜しいことをした、という意味である。この言葉にはお詫びの意味は含まれていない。辞書にも遺憾について「思いどおりにいかず心残りなこと。残念、気の毒」等とある。
ところが、テレビ画面では知ってか知らずか、誤用というのか悪用というのか「甚だ遺憾に存じます」と言う言葉で事態を切り抜けてしまう。
次に「鳥肌が立つ」である。この言葉は「肌に粟が生じる」「総毛立つ」と同じ意味で「寒さや恐怖のせいで、体の毛穴がふくれて、肌にぽつぽつができること」「皮膚が、鳥の毛をむしり取った後の肌のようになる現象」を意味する。
寒さを感じ恐怖を覚えたとき以外に感動したときにも、肌にぽつぽつができる。結果は同じでも、原因は正反対である。感動に際して使うのは誤用と言うべきだろう。
「遺憾に思う」や「鳥肌が立つ」についての解説のあるこの本の書名は「知らない日本語 教養が試される341語」(幻冬舎、谷沢永一)と俗であるが、内容は普通の人が常識として書いたり話したりする言葉について、それが「どのような歴史的由来に基いており、如何なる意味を含んでいるか…総浚えしてみよう」という意図で書かれている。
著者は「主題は言葉の探索である」と書きつつ、「言葉の意味を知るという手立てに代わりはないが…人間を知る。世間を知る。生きてゆくうえでの知恵を深めようではないか、という欲の深い誘い」が狙いであると述べている。一つの言葉が凡そ1頁で説明されており、どこから読んでもいい。面白く為になる。
例えば「墨守」について私は「旧弊にとらわれる」「融通がきかない」と悪い意味の言葉だと思っていたが、その昔は「自説を固く守って動じないこと」「説を持して曲げないこと」とよい意味の言葉だったようだ。だからと言って、昔に使われた意味で現在この言葉を使うとすると誤解されそうだ。
「襟につく」(利益目当てにこびへつらう)、「既往は咎めず」(過去の失敗にこだわらない)、「衣紋を繕う」(服装や姿勢の乱れを整える)、「解語の花」(単なる美人)、「刮目して見る」(注意深く観察し直す)、「玉山倒る」(大酔する)、「地を掃う」(跡形もなく廃れて何も残らない)、「口耳の学」(耳学問)など知らなかった言葉や使ったことがない表現も教えてくれた。もっともこれらの言葉は既に死語になっている、と言われそうだ。
この文章は以上で終わるつもりであったが、「遺憾」と「鳥肌が立つ」については一言補足をしておく必要があることに気が付いた。ちょっと長くなるがご容赦いただきたい。
【遺憾について】 最近購入したベネッセ表現読解国語辞典(初版)では、「遺憾」の慣用句として「遺憾の意を表する」を記載し、①として「自分の行為を釈明して、我ながら残念に思うと、詫びる気持ちを表す」、②として「相手の行為に対して、残念に思うと非難したり抗議したりする気持ちを表す」と例を挙げ、「遺憾」に「詫びる」意があることも記載しているのに気が付いた。私は①の意味で「遺憾」を使うのは今でも誤用だと思っているが、既に市民権を得ているのだろうか。
【鳥肌が立つについて】 感動に関連して「鳥肌が立つ」を使い、その後の使い方に強い影響を与えたのは、2000年のシドニー五輪の開会式でのNHKアナウンサー(当時)有働由美子氏の「(感動で)鳥肌が立ちました」との報道からだと思っている。仄聞するところによると、NHKにはこの表現に対して高齢者層から数多くの批判が寄せられたという。もっともこのような使い方は、1980年代から若者の世界で始まったと読んだこともあるが、どの書物だったか。
最近では、老若男女のタレントや若年層アナウンサーを中心に、何の考えもなく「感動で鳥肌が立った」との表現が使われている。つい先日もラジオ深夜便でベテラン男性アナウンサーが同じ表現をしたのを聞いた。私はその都度、違和感を抱くと共に「もう少し言葉を勉強したら」と思ってしまう。
ただ、客観的に見た場合、最近では少し状況が変わってきているとも思われる。文化庁が平成27年に実施した「『国語に関する世論調査』の結果の概要」によると、「余りのすばらしさに鳥肌が立った」と「余りの恐ろしさに鳥肌が立った」について、両方を使う人も含めて、前者を使う人は62.0%、後者を使う人は56.6%、私のように後者だけに使う人は僅か29.1%となっている。
また、日本新聞協会の新聞用語集(2007年)では「鳥肌が立つ」について「恐ろしさや寒さのために皮膚がざらつく状態を指すのが本来の意味。最近、感動・興奮の表現としても用いられるようになり、採用する辞書も出てきた。しかしまだ違和感を持つ人も少なくないので感動表現で使うことは慎重にしたい」としているが、「2010年代後半に出版された新聞・通信社の用語集5点のうち2点は、既に『鳥肌が立つ』の用法について注意喚起するのをやめている」という。(いずれも原典にあたることはできなかった)
辞書の扱いについては、「明鏡国語辞典 第2版」(大修館書店)はこの語句について「いい意味で使うのは、本来的ではない」とし、「新明解国語辞典 第7版」(三省堂)は「本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて、ひどく感激する意に用いることがある」と述べながら、その後に続けて「規範的な立場からは容認されていない」と保守的な立場を明らかにしている。
ベネッセ表現読解国語辞典では「恐れる」についての慣用表現の一つとして「肝を冷やす、背筋が凍る、血の気を失う、身の毛がよだつ」等と並んで「鳥肌が立つ」を挙げているが、「感動する」についての慣用表現には「鳥肌が立つ」は含まれていない。
その一方で、『広辞苑』は、2009年発行の第6版で第5版の記述を改め「近年、感動した場合にも用いるとし『名演奏に鳥肌が立った』」を認める容認派に転じ、「三省堂国語辞典 第6版」は、「強い感動をうけたとき」にも用いる、と語釈の中で明記し、例文に「鳥肌が立つほどの名演技」を挙げている。
感動を表わすのに「鳥肌が立つ」という言葉を使うことに強い抵抗、違和感を覚える私はどのように表現すべきか、いろいろ考えたが思い付かない。「感動で体が震えた」「感動を覚え涙が出た」「万感胸に迫った」位が私の語彙である。
そもそも「遺憾」と言う言葉は「諦めきれない心情」を表わす言葉であり、思いどおりにならず、心残り、残念、惜しいことをした、という意味である。この言葉にはお詫びの意味は含まれていない。辞書にも遺憾について「思いどおりにいかず心残りなこと。残念、気の毒」等とある。
ところが、テレビ画面では知ってか知らずか、誤用というのか悪用というのか「甚だ遺憾に存じます」と言う言葉で事態を切り抜けてしまう。
次に「鳥肌が立つ」である。この言葉は「肌に粟が生じる」「総毛立つ」と同じ意味で「寒さや恐怖のせいで、体の毛穴がふくれて、肌にぽつぽつができること」「皮膚が、鳥の毛をむしり取った後の肌のようになる現象」を意味する。
寒さを感じ恐怖を覚えたとき以外に感動したときにも、肌にぽつぽつができる。結果は同じでも、原因は正反対である。感動に際して使うのは誤用と言うべきだろう。
「遺憾に思う」や「鳥肌が立つ」についての解説のあるこの本の書名は「知らない日本語 教養が試される341語」(幻冬舎、谷沢永一)と俗であるが、内容は普通の人が常識として書いたり話したりする言葉について、それが「どのような歴史的由来に基いており、如何なる意味を含んでいるか…総浚えしてみよう」という意図で書かれている。
著者は「主題は言葉の探索である」と書きつつ、「言葉の意味を知るという手立てに代わりはないが…人間を知る。世間を知る。生きてゆくうえでの知恵を深めようではないか、という欲の深い誘い」が狙いであると述べている。一つの言葉が凡そ1頁で説明されており、どこから読んでもいい。面白く為になる。
例えば「墨守」について私は「旧弊にとらわれる」「融通がきかない」と悪い意味の言葉だと思っていたが、その昔は「自説を固く守って動じないこと」「説を持して曲げないこと」とよい意味の言葉だったようだ。だからと言って、昔に使われた意味で現在この言葉を使うとすると誤解されそうだ。
「襟につく」(利益目当てにこびへつらう)、「既往は咎めず」(過去の失敗にこだわらない)、「衣紋を繕う」(服装や姿勢の乱れを整える)、「解語の花」(単なる美人)、「刮目して見る」(注意深く観察し直す)、「玉山倒る」(大酔する)、「地を掃う」(跡形もなく廃れて何も残らない)、「口耳の学」(耳学問)など知らなかった言葉や使ったことがない表現も教えてくれた。もっともこれらの言葉は既に死語になっている、と言われそうだ。
この文章は以上で終わるつもりであったが、「遺憾」と「鳥肌が立つ」については一言補足をしておく必要があることに気が付いた。ちょっと長くなるがご容赦いただきたい。
【遺憾について】 最近購入したベネッセ表現読解国語辞典(初版)では、「遺憾」の慣用句として「遺憾の意を表する」を記載し、①として「自分の行為を釈明して、我ながら残念に思うと、詫びる気持ちを表す」、②として「相手の行為に対して、残念に思うと非難したり抗議したりする気持ちを表す」と例を挙げ、「遺憾」に「詫びる」意があることも記載しているのに気が付いた。私は①の意味で「遺憾」を使うのは今でも誤用だと思っているが、既に市民権を得ているのだろうか。
【鳥肌が立つについて】 感動に関連して「鳥肌が立つ」を使い、その後の使い方に強い影響を与えたのは、2000年のシドニー五輪の開会式でのNHKアナウンサー(当時)有働由美子氏の「(感動で)鳥肌が立ちました」との報道からだと思っている。仄聞するところによると、NHKにはこの表現に対して高齢者層から数多くの批判が寄せられたという。もっともこのような使い方は、1980年代から若者の世界で始まったと読んだこともあるが、どの書物だったか。
最近では、老若男女のタレントや若年層アナウンサーを中心に、何の考えもなく「感動で鳥肌が立った」との表現が使われている。つい先日もラジオ深夜便でベテラン男性アナウンサーが同じ表現をしたのを聞いた。私はその都度、違和感を抱くと共に「もう少し言葉を勉強したら」と思ってしまう。
ただ、客観的に見た場合、最近では少し状況が変わってきているとも思われる。文化庁が平成27年に実施した「『国語に関する世論調査』の結果の概要」によると、「余りのすばらしさに鳥肌が立った」と「余りの恐ろしさに鳥肌が立った」について、両方を使う人も含めて、前者を使う人は62.0%、後者を使う人は56.6%、私のように後者だけに使う人は僅か29.1%となっている。
また、日本新聞協会の新聞用語集(2007年)では「鳥肌が立つ」について「恐ろしさや寒さのために皮膚がざらつく状態を指すのが本来の意味。最近、感動・興奮の表現としても用いられるようになり、採用する辞書も出てきた。しかしまだ違和感を持つ人も少なくないので感動表現で使うことは慎重にしたい」としているが、「2010年代後半に出版された新聞・通信社の用語集5点のうち2点は、既に『鳥肌が立つ』の用法について注意喚起するのをやめている」という。(いずれも原典にあたることはできなかった)
辞書の扱いについては、「明鏡国語辞典 第2版」(大修館書店)はこの語句について「いい意味で使うのは、本来的ではない」とし、「新明解国語辞典 第7版」(三省堂)は「本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて、ひどく感激する意に用いることがある」と述べながら、その後に続けて「規範的な立場からは容認されていない」と保守的な立場を明らかにしている。
ベネッセ表現読解国語辞典では「恐れる」についての慣用表現の一つとして「肝を冷やす、背筋が凍る、血の気を失う、身の毛がよだつ」等と並んで「鳥肌が立つ」を挙げているが、「感動する」についての慣用表現には「鳥肌が立つ」は含まれていない。
その一方で、『広辞苑』は、2009年発行の第6版で第5版の記述を改め「近年、感動した場合にも用いるとし『名演奏に鳥肌が立った』」を認める容認派に転じ、「三省堂国語辞典 第6版」は、「強い感動をうけたとき」にも用いる、と語釈の中で明記し、例文に「鳥肌が立つほどの名演技」を挙げている。
感動を表わすのに「鳥肌が立つ」という言葉を使うことに強い抵抗、違和感を覚える私はどのように表現すべきか、いろいろ考えたが思い付かない。「感動で体が震えた」「感動を覚え涙が出た」「万感胸に迫った」位が私の語彙である。