「詩」を探す話
ときおり口を衝いて出る言葉がある。誰かの詩にあった七五調の文章で「風粛々と易水の、寒き滸(ほとり)に佇みて、悲しく歌ふ壮士あり」、そして最後の文章「風粛々と易水に、花散る春は来れども、壮士ふたたび還り来ず」である。
他には「如意輪堂の壁板に 次々しるす氏(うじ)と名の」や「杉の中なる蔵王堂、ここぞ村上義光(よしてる)が 世は元弘のその昔…」もある。
これらの語句は、たぶん私が子供の頃に伯母から貰った茶色の表紙の詩集の中にあった言葉だろう。ここまでは推測できるが、肝心の詩集が手許にはない。さて誰のどのような詩集だったのか、長い間気になっていた。
内容から考えて土井晩翠ではないかと思い、パソコンを使うようになってからは、いろいろと検索したが全て不調だった。
長いあいだ頭の片隅に残っていた望みであったが、突然にどういうわけか、何がきっかけとなったのか、「少年詩集」という言葉が頭に浮かんだ。
「そうだ、詩集の表題は『少年詩集』だったかも解らない」と慌てて「少年詩集」という語でインターネット検索をすると「西条八十少年詩集」がヒットした。瞬間的に「これだ、これに違いない」と思った。「赤い鳥」に数多くの童謡を発表した童謡詩人でもある西条八十が作者だとすると納得がゆく。
現物を手に入れようとアマゾンで検索したところ、中古品(古本)として二冊が掲載され、それぞれ5千円、1万円の値がつけられている。表紙の色やそこに描かれた絵から見て多分この本だろうと思ったが、ちょっと高い。
市立図書館で保有していないかと、タイトル:少年詩集、著者:西条八十で検索すると、国書刊行会の「西条八十全集4」が出た。内容一覧で詳しく調べると「少年詩集」が含まれているではないか。
このような本を借りる人はいないのか、書庫に保管されていた目的の本は新品そのものだった。私の狙い通り全集の4には少年詩集の詩が掲載されていた。ざっと眺めてみると、記憶の彼方にあった幾つかの詩が鮮明に蘇った。
最初のページに掲載されている「少年詩集」の表紙のカラー写真は私の思い出に色を添えてくれたようだ。借り出した本から表紙のカラー写真と必要な部分をコピーし、自家版の「少年詩集」を作ろうと思っている。私個人の楽しみのためなのだから著作権の問題は生じないだろう。
因みに、最初の語句の「壮士」とは、中国戦国時代末期の刺客荊軻(けいか)である。彼は燕の太子の命を受け、秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとしたが、失敗し逆に殺された。第二の語句は、楠正行が討死を覚悟して四條畷の戦いに出陣するときの状況、第三の語句は大塔宮護良親王に仕えた村上義光が元弘の乱における吉野城の戦いで討死した際の状況である。これらの人物のこれらの挿話はよく知られている。
他には「如意輪堂の壁板に 次々しるす氏(うじ)と名の」や「杉の中なる蔵王堂、ここぞ村上義光(よしてる)が 世は元弘のその昔…」もある。
これらの語句は、たぶん私が子供の頃に伯母から貰った茶色の表紙の詩集の中にあった言葉だろう。ここまでは推測できるが、肝心の詩集が手許にはない。さて誰のどのような詩集だったのか、長い間気になっていた。
内容から考えて土井晩翠ではないかと思い、パソコンを使うようになってからは、いろいろと検索したが全て不調だった。
長いあいだ頭の片隅に残っていた望みであったが、突然にどういうわけか、何がきっかけとなったのか、「少年詩集」という言葉が頭に浮かんだ。
「そうだ、詩集の表題は『少年詩集』だったかも解らない」と慌てて「少年詩集」という語でインターネット検索をすると「西条八十少年詩集」がヒットした。瞬間的に「これだ、これに違いない」と思った。「赤い鳥」に数多くの童謡を発表した童謡詩人でもある西条八十が作者だとすると納得がゆく。
現物を手に入れようとアマゾンで検索したところ、中古品(古本)として二冊が掲載され、それぞれ5千円、1万円の値がつけられている。表紙の色やそこに描かれた絵から見て多分この本だろうと思ったが、ちょっと高い。
市立図書館で保有していないかと、タイトル:少年詩集、著者:西条八十で検索すると、国書刊行会の「西条八十全集4」が出た。内容一覧で詳しく調べると「少年詩集」が含まれているではないか。
このような本を借りる人はいないのか、書庫に保管されていた目的の本は新品そのものだった。私の狙い通り全集の4には少年詩集の詩が掲載されていた。ざっと眺めてみると、記憶の彼方にあった幾つかの詩が鮮明に蘇った。
最初のページに掲載されている「少年詩集」の表紙のカラー写真は私の思い出に色を添えてくれたようだ。借り出した本から表紙のカラー写真と必要な部分をコピーし、自家版の「少年詩集」を作ろうと思っている。私個人の楽しみのためなのだから著作権の問題は生じないだろう。
因みに、最初の語句の「壮士」とは、中国戦国時代末期の刺客荊軻(けいか)である。彼は燕の太子の命を受け、秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとしたが、失敗し逆に殺された。第二の語句は、楠正行が討死を覚悟して四條畷の戦いに出陣するときの状況、第三の語句は大塔宮護良親王に仕えた村上義光が元弘の乱における吉野城の戦いで討死した際の状況である。これらの人物のこれらの挿話はよく知られている。