洛中獨歩抄
書庫を整理していたら野間光辰著の「洛中獨歩抄」(淡交新社)が目に付いた。懐かしさに作業を止めて手に取り、書斎に持ち込んだ。サラリーマン生活を初めて間もなくの頃に、学生時代を懐かしく思い買ったものである。買った書店も覚えている。
著者自身が書いたと思われる著者紹介文は「野間光辰(のまくわうしん) 明治42年己酉(ツチノ・トリ)生まれ。九曜星は一白水星に宿る。名は坊主らしきも坊主にあらず、野の間に光る辰(ホシ)なり。昭和8年京都帝国大学文学部国文学科を卒業。…昭和24年先師の後を承けて京都大学に還り、以て今日に至る。著作いずれも西鶴に関するもの、売れざれば古本の値高し」である。
擬古文で書かれた井原西鶴研究の第一人者の文章は、リズムよく読んで心地よい。内容もさることながらこの心地よさに牽かれて何度も何度も繰り返し読んだことである。葛西宗誠のモノクロームの写真も古き良き時代の京都を彷彿とさせ、私には懐かしい。小林 勇による口絵のカラーのキャンティの壜も覚えている。
昭和42年発行のこの書物が現在でも手に入るかとインターネットで検索したところ、2018年4月に復刻版が発行されていることを知った。
あとがきには、「いざ筆執りてみれば、『私の好きな京都』は少しも書かで、その厭なる側面(かたづら)ばかり書きしやうになりしは、元来京に住みて京を知らざる田夫者(でんぷもの)、生まれながらの天邪鬼(へそまがり)のしからしむるところならむ。京見物の人々の見て廻る名所舊蹟のこと、ここには少しも見えず」とあるが、本当の京都をさりげなく紹介してくれている。
葛切りで有名な鍵善での「菓子鬻(ひさ)ぐ見世にて酒飲まんとは」の一幕や「聖護院の筋向ひに須賀神社あり」に続く懸想文賣(けそうぶみうり)の話など、私は今でも覚えている。
懸想文賣といえば、3月2日に「梅の楚(ずはえ)に文箱(ふばこ)結ひ(ゆひ)て」売り歩く懸想文賣の写真を撮りに須賀神社に出かけ、ついでに売られている懸想文(恋文)にはどのようなことが書かれているのか、と買ったこともある。
当時でも「昔なつかしく苔寺のあたり彷ひ(さまよひ)しに、蟻の熊野参りのごとき人の群、さながら四條通り河原町の往来に似たり」「されば春秋のころの観光都市京都は、われ、これを好まず」と描かれているのは、今も同じか。オーバー・ツーリズムが言われる現代では、もっとひどい有様であるに違いない。
「さはいへ、われにはわれの、愛(め)でたしと思ふ京のおもむきなからむや」に続く「冬の朝(あした)、東山の峰々白く雪によそはれて連なりたるなかに、如意ヶ嶽、吉田神社の朱(あけ)の鳥居の上(へ)にわづかに頭(かうべ)をのぞかせて…」や「北山の峰々雨に煙りてよこふせり。近くは濃く、遠きは薄き墨色(すみいろ)ににじみて、さながらに繪のごとく、いつまでも見れども飽かず」は、観光客はいざ知らず、京都に住んでいる人たちにとっては、今でも好ましい風景だろう。
時間の余裕もあることもあり、昔を偲びつつ幾つかの文を読み、写真を眺めた。
著者自身が書いたと思われる著者紹介文は「野間光辰(のまくわうしん) 明治42年己酉(ツチノ・トリ)生まれ。九曜星は一白水星に宿る。名は坊主らしきも坊主にあらず、野の間に光る辰(ホシ)なり。昭和8年京都帝国大学文学部国文学科を卒業。…昭和24年先師の後を承けて京都大学に還り、以て今日に至る。著作いずれも西鶴に関するもの、売れざれば古本の値高し」である。
擬古文で書かれた井原西鶴研究の第一人者の文章は、リズムよく読んで心地よい。内容もさることながらこの心地よさに牽かれて何度も何度も繰り返し読んだことである。葛西宗誠のモノクロームの写真も古き良き時代の京都を彷彿とさせ、私には懐かしい。小林 勇による口絵のカラーのキャンティの壜も覚えている。
昭和42年発行のこの書物が現在でも手に入るかとインターネットで検索したところ、2018年4月に復刻版が発行されていることを知った。
あとがきには、「いざ筆執りてみれば、『私の好きな京都』は少しも書かで、その厭なる側面(かたづら)ばかり書きしやうになりしは、元来京に住みて京を知らざる田夫者(でんぷもの)、生まれながらの天邪鬼(へそまがり)のしからしむるところならむ。京見物の人々の見て廻る名所舊蹟のこと、ここには少しも見えず」とあるが、本当の京都をさりげなく紹介してくれている。
葛切りで有名な鍵善での「菓子鬻(ひさ)ぐ見世にて酒飲まんとは」の一幕や「聖護院の筋向ひに須賀神社あり」に続く懸想文賣(けそうぶみうり)の話など、私は今でも覚えている。
懸想文賣といえば、3月2日に「梅の楚(ずはえ)に文箱(ふばこ)結ひ(ゆひ)て」売り歩く懸想文賣の写真を撮りに須賀神社に出かけ、ついでに売られている懸想文(恋文)にはどのようなことが書かれているのか、と買ったこともある。
当時でも「昔なつかしく苔寺のあたり彷ひ(さまよひ)しに、蟻の熊野参りのごとき人の群、さながら四條通り河原町の往来に似たり」「されば春秋のころの観光都市京都は、われ、これを好まず」と描かれているのは、今も同じか。オーバー・ツーリズムが言われる現代では、もっとひどい有様であるに違いない。
「さはいへ、われにはわれの、愛(め)でたしと思ふ京のおもむきなからむや」に続く「冬の朝(あした)、東山の峰々白く雪によそはれて連なりたるなかに、如意ヶ嶽、吉田神社の朱(あけ)の鳥居の上(へ)にわづかに頭(かうべ)をのぞかせて…」や「北山の峰々雨に煙りてよこふせり。近くは濃く、遠きは薄き墨色(すみいろ)ににじみて、さながらに繪のごとく、いつまでも見れども飽かず」は、観光客はいざ知らず、京都に住んでいる人たちにとっては、今でも好ましい風景だろう。
時間の余裕もあることもあり、昔を偲びつつ幾つかの文を読み、写真を眺めた。