蔵書の行方

蔵書の行方

KEI(2020年8月19日)

 日本におけるフランス文学・文化の研究者、評論家であり、京都大学人文科学研究所所長を務め、文化勲章やレジオンドヌール勲章を受章された桑原武夫さんから(あるいはその遺族から)京都市に寄贈された蔵書が、保管場所を転々とした後、廃棄されたことが判明し、問題になったことがある。
 手許にある新聞の切り抜きによると、寄贈された蔵書のその後は、次のようなものだった。
 当初、京都市国際交流会館に書斎を再現した「桑原武夫記念室」で保管されていた。その後、新しく完成した右京中央図書館に記念室を移したが、その際、市立図書館全体の図書との重複が多かったため、正式な登録(どのような登録だったのかは書かれていない)をしなかった。更にはスペース不足が理由で、別の図書館の倉庫に移されたが、それまでの間の問い合わせは1件だけであること、「目録があれば対応できる」との判断で、最終的には、廃棄された。  この経緯を報道した新聞記事では、その後にこの廃棄が一般利用者からの問い合わせで判明した。市教委は遺族に謝罪し、担当責任者を懲戒処分としたという。フランス文学・文化研究の泰斗の蔵書に対するこの扱いの是非、市教委の対応の適否については、ここでは議論しない。
(なお、新聞記事には「学術的価値の高い一部は京都大などが保管している」とも書かれている。)
 この報道から「蔵書の処分」について書かれた、若い頃に読んだ文章を思い出した。斯界の権威の蔵書と比べるべきではないことは十分承知しているが「蔵書の処分」という観点から思い出しただけである。
 そこに書かれていたのは次のような内容だった。
 市井の読書家が亡くなると、遺族はその書物を「きっと役に立ち、喜ばれるだろう」と、市立図書館に寄贈することを考える。ところが多くの場合、既に同じ書物が図書館の蔵書になっていたり、古くて役に立たなかったりで、図書館では扱いに苦労する。最近では丁重にお断りをしているが、かつてはいったん好意を受け取った上で、図書館が費用を負担して寄贈図書を処分していたこともあったという。
 これらの事情を述べた後、その著者は、蔵書を図書館に寄贈するときには“幾ばくか”の額の金員を付けるべきだと書いていた。
 次は友人の経験談である。
 彼は残された父親の蔵書について次のような話をしてくれた。四国の小さな都市に住んでいた読書家であり、ある領域の専門書を集めていた父親が亡くなった。彼は父親の蔵書の中には市立図書館で役に立つものもあるかと考え、図書館に連絡した。図書館から人が来られ、何冊かを持って帰られた。残りは廃棄処分にした。このような話だった。
 私自身はリタイアした時点で、仕事の関係で集めた書籍2,000冊ほどは、思い出がある数冊を残し、全て勉強家の若い友人に貰ってもらった。この内の何冊かは戯れにインターネットで検索したときに何万円かの値段が付いていたことを知っていたので、「不要なら遠慮なく売って小遣いにしたらいいよ」ということを伝えた上で。
 そして残りの書物は気が向いたときに整理をし、100冊単位で資源ごみとして処分している。しかし、なかなか気が乗らない。一体いつになったら処分は終わるのだろう。