外山滋比古さんの老い方

外山滋比古さんの老い方

KEI(2020年8月12日)

 外山滋比古さんがお亡くなりになった。96歳だった。2020年8月7日の朝刊各紙は「『思考の整理学』がベストセラーになった英文学者でお茶の水女子大名誉教授の外山滋比古(とやま・しげひこ)さんが7月30日、胆管がんで死去」と報じた。併せて「90歳代になっても旺盛に執筆を重ね、新聞を熟読して世の中の情報を得るなど、知的好奇心を失わない生き方でも注目を集めた」とも。謹んでご冥福をお祈りする。
 以下の文章は少し前に、事務局にお届けしたものであるが、追悼の意味を込めてそのままの形で掲載いただくこととした。
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 私の頭の中の外山滋比古さんはエッセイストである。お茶の水女子大学名誉教授、英文学者、言語学者、評論家であることは知っているが、強くは意識していなかった。その外山滋比古さんがご存命というだけでなく、お元気にご活躍されているということを知って少し驚いている。1923年11月3日生まれであるから失礼ながらお亡くなりになっていても不思議ではない年齢である。
 この外山さんがお書きになったエッセイ集「『いつ死んでもいい』老い方」(講談社)を図書館で見つけたので読み始めた。あとがきの日付が2011年8月とあるからこれ以前の文章だろうが、内容からみてそれほど昔の文章ではないようだ。
 お歳から判断し原稿用紙のマス目を一字一字万年筆で埋められたのだろうか、それとも口述か、そうでなくパソコンを使われたのかもわからない、何れにしても素晴らしい。
 長い間文筆活動に携わってこられた人物であるだけに、平易な言い回しで楽しく毒舌を振るい、やんわりと世の中を批判されている。そして自慢にならない範囲で自らを語られている。それぞれ4~6頁程度の文章であるが、読みやすく、理解し易いこと限りがない。実に上手いものだ。
 読み進めつつ、気の付いた項目について所感を一つ。
「旧友・新友」の項で、「友人は食べものではないが、やはり賞味期限がある。何十年もつき合っていると、鮮度がおちて、つまらなくなる」と書き「私は七十歳くらいになって、旧友を新友と入れかえることを考えた。つまり、新しい仲間づくりをはじめ、ひとつひとつふやし、いまでは五つのクラブに属している。月一回、夕方から、食事をしながら、四方山の話をする。トピックがほしいから、毎会、口火を切る人が短い話をする。あとは飲んで食べてしゃべる」と続ける。ある日の例会ではフリ込め詐欺を話題にし、談論風発したそうで、その内容を面白可笑しく書かれている。この間は自分の年齢を考えることもなく、楽しく頭の体操をした気分になられるという。
「友人には鮮度というか賞味期限がある」との指摘は、ある意味ではそうかも知れないと思いつつも、私には異論がある。長く関係が続いている“心友”ともいえる友人との間では、賞味期限など存在しない、と私は思っている。
「旧友・新友」と同じようなテーマで書かれている「われを忘れる」というのがある。「数人の仲間とあてどもなく、四方山の話をしていると、運がよいと、われを忘れ、時のたつのも忘れて、しゃべりまくる」云々と書き「気のおけない席でのおしゃべりは、頭をよくし、われを忘れ、心を豊かにしてくれる効果がある」と締め括る。
 気の置けない、心の許せる友人との会話は、老人を元気づけ、人の脳や心によい影響を与えるということは、私も経験し、外山さんの意見に同感である。外山さんはこのような仲間を多くお持ちなのだろうが、このことはとても羨ましい。