「ホット・ゾーン」
表紙にはおどろおどろしいフィロウイルス(だと思う)の電子顕微鏡写真だけが掲載されている「ホット・ゾーン」(上・下)(リチャード・プレストン著、高見 浩訳、飛鳥新社)を読んだ。書名にあるホット・ゾーンとは「(感染症の流行地や被爆地などの)身体に悪影響を及ぼすものと接触する危険性が高い区域」を意味する言葉である。
1989年、アメリカの首都ワシントンD.C.の西方約10マイルにあるヴァージニア州レストンのモンキー・ハウスで、フィリピンから輸入され実験動物として使われるカニクイザルが大量死するという事態が発生した。調査を依頼されたUSAMRIID(ユーサムリッド、United States Army Medical Research Institute of Infectious Disease、アメリカ陸軍感染症医学研究所)は、その死因がフィロウイルスの中で最も“狂暴”なエボラ・ザイールであることを突き止めた。
これに先立つ12~3年前のアフリカにおけるこのウイルス罹患者発生・死亡の状況とアメリカにおけるこのウイルス制圧に関する一部始終を詳細な調査と関係者へのインタビューをもとに纏めたノンフィクションが本書である。“巻を置くこと能わず”読み終えた。
上巻は主として、ケニヤに一人で住んでいるアマチュア博物学者の行動と罹患してからの死に至るまでの病状、彼を治療した医師、他の地域で感染したシスターM・Eと呼ばれる修道女、メインガMと呼ばれる若い看護婦といった人々の行動と死に至るまでの状況を述べているが、書かれている内容、特に病状は恐ろしく目を覆いたくなるようなものばかりだった。
下巻では主に制圧行動についての一部始終が具体的に書かれている。コロナウイルス問題で我々が知ることになったCDC(アメリカ疾病予防管理センター、Centers for Disease Control and Prevention)も出て来るが、主導権を握り活躍したのは「能力はあるが、権限がない」USAMRIIDだった。
USAMRIIDのトップであるラッセル将軍は、CDCと役割分担を協議した上で、USAMRIID内の指揮系統をはっきりと定めた。それぞれの業務の担当責任者は極めて詳細かつ具体的に行動計画を決定し、それに従って部下に行動させる。勿論、行動の途中では不測の事態も生ずるが、お互いに助け合って難を切り抜ける。また慎重な行動の途中で感染リスクが疑われる事態も何度か発生し、それに対しては感染の可能性を心配することも正直に記録されている。
訳者は、1994年の9月12日付タイム誌の「問題はいまや、“伝染病はいつになったら撲滅できるか?”ではなくて、“次の危険な病原体はいつ出現するか?”になった」を紹介している。そしてこのことについて、同誌や本書の著者のプレストンは「太古から地球に寄生し増殖を繰り返してきた人間という寄生体が熱帯雨林という地球の聖地を破壊している」ことに対する警鐘ではないか、と言っている。
この本を読んで、「新型コロナウイルスもこれに比べれば…」という根拠のない安心感を得た私は、余りにも単純なのだろう。
最後に。手許にあった1994年12月発行のこの本について私は「買った記憶がない」とはっきり言える。それにも拘らず手元にこの本が新品同様な形で存在しているのは不思議である。同じ本をそれと意識せず2冊買ったことは何度もある。これらの本は私の関心圏内にある本でそれなりに理由は判る。
ところがこの本は全く私の関心の外にある種類の本であり、現在書店に並んでいても買わないことは間違いがない。唯一考えられるのは「2人いる我が家の子供たちのどちらかが買った」ということになるのだが、彼らはこのような本に関心を抱いていたのだろうか。そして読んだ後、どのような感想を抱いたのだろうか。
1989年、アメリカの首都ワシントンD.C.の西方約10マイルにあるヴァージニア州レストンのモンキー・ハウスで、フィリピンから輸入され実験動物として使われるカニクイザルが大量死するという事態が発生した。調査を依頼されたUSAMRIID(ユーサムリッド、United States Army Medical Research Institute of Infectious Disease、アメリカ陸軍感染症医学研究所)は、その死因がフィロウイルスの中で最も“狂暴”なエボラ・ザイールであることを突き止めた。
これに先立つ12~3年前のアフリカにおけるこのウイルス罹患者発生・死亡の状況とアメリカにおけるこのウイルス制圧に関する一部始終を詳細な調査と関係者へのインタビューをもとに纏めたノンフィクションが本書である。“巻を置くこと能わず”読み終えた。
上巻は主として、ケニヤに一人で住んでいるアマチュア博物学者の行動と罹患してからの死に至るまでの病状、彼を治療した医師、他の地域で感染したシスターM・Eと呼ばれる修道女、メインガMと呼ばれる若い看護婦といった人々の行動と死に至るまでの状況を述べているが、書かれている内容、特に病状は恐ろしく目を覆いたくなるようなものばかりだった。
下巻では主に制圧行動についての一部始終が具体的に書かれている。コロナウイルス問題で我々が知ることになったCDC(アメリカ疾病予防管理センター、Centers for Disease Control and Prevention)も出て来るが、主導権を握り活躍したのは「能力はあるが、権限がない」USAMRIIDだった。
USAMRIIDのトップであるラッセル将軍は、CDCと役割分担を協議した上で、USAMRIID内の指揮系統をはっきりと定めた。それぞれの業務の担当責任者は極めて詳細かつ具体的に行動計画を決定し、それに従って部下に行動させる。勿論、行動の途中では不測の事態も生ずるが、お互いに助け合って難を切り抜ける。また慎重な行動の途中で感染リスクが疑われる事態も何度か発生し、それに対しては感染の可能性を心配することも正直に記録されている。
訳者は、1994年の9月12日付タイム誌の「問題はいまや、“伝染病はいつになったら撲滅できるか?”ではなくて、“次の危険な病原体はいつ出現するか?”になった」を紹介している。そしてこのことについて、同誌や本書の著者のプレストンは「太古から地球に寄生し増殖を繰り返してきた人間という寄生体が熱帯雨林という地球の聖地を破壊している」ことに対する警鐘ではないか、と言っている。
この本を読んで、「新型コロナウイルスもこれに比べれば…」という根拠のない安心感を得た私は、余りにも単純なのだろう。
最後に。手許にあった1994年12月発行のこの本について私は「買った記憶がない」とはっきり言える。それにも拘らず手元にこの本が新品同様な形で存在しているのは不思議である。同じ本をそれと意識せず2冊買ったことは何度もある。これらの本は私の関心圏内にある本でそれなりに理由は判る。
ところがこの本は全く私の関心の外にある種類の本であり、現在書店に並んでいても買わないことは間違いがない。唯一考えられるのは「2人いる我が家の子供たちのどちらかが買った」ということになるのだが、彼らはこのような本に関心を抱いていたのだろうか。そして読んだ後、どのような感想を抱いたのだろうか。