路地の風景
「路地」とは懐かしい響きの言葉である。とは言っても私自身は幼い頃に路地で遊んだという記憶はない。
私が子供の頃によく遊んだ我が家の前の道は、大型乗用車が通るときには人は小さくなって避けなければならないような幅の時代遅れの道ではあるが、辞書にいう「家と家との間の狭い道」(ベネッセ表現読解国語辞典)である路地ではない。数年前に市立博物館で古地図の展示があったときに、我が家の前の道がそのままの形で表示されているのを確認した。江戸時代中期から後期には既に重要な道として存在していたと推測されるような道である。
路地で遊んだ記憶はないが、書店で「路地の風景」(小学館)を見たときには迷わず買い求めた。帯には「路地、時の幻燈、夢の濾過装置。佐藤秀明ライフワーク255点の写真と阿久悠最後の詞20編で綴る路地物語」とある。阿久悠の詞と佐藤秀明の写真とエッセイとの見事なコラボレーションである。編集・造本・装幀は鍋倉孝二郎。
まず表紙がすばらしい。カバーにはモノクロの路地の写真が全面に印刷されているが、その中央部分が直径9cmほどの円で丸く刳(く)り貫(ぬ)かれ、そこからは同じ図柄であるカラーの写真が覗いている。歳を経て記憶はモノクロになったが、その窓から覗けば天然色の思い出が蘇るとでも言っているようだ。
鍋倉孝二郎はあとがきで次のように書いている。佐藤秀明から預かった北は網走番外地から南は沖縄諸島までの日本列島の路地路地路地の写真を眺めていると、さまざまな暮らしの音とともに唄が聞こえてきた。そこで、一面識もなかったが、阿久悠に詞を書いてもらおうと執筆を依頼した。そして阿久悠からは20編の詞が届けられたが、これが阿久の絶筆となった。
季節毎に纏められ、見事にレイアウトされている写真を眺めていると、写されているような路地で遊んだ記憶もなく、そのような路地にある飲食店を訪れたこともなく、そこでの生活も全く知らない私ではあるが、何か懐かしい思いが心を満たしてくるのを覚える。
そして、ところどころに挿入されている阿久悠の詞が異なった方向からの風を感じさせてくれる。例えば、彼は「猫と犬と老人と子ども」と題して「もう あの路地はない あの人たちも もういない いたとしても すっかり都会人になって 面白くなくなっている 路地をきれいに片づけ 猫と犬と老人と子どもを 追い払ったのは誰だ」と書いている。
この書物に影響を受けたのか、それとも日本人としての私の心の奥底に潜んでいる感情や感性によるものか、多分後者だろうと思うが、仲間との写真展の作品用としてストックしている写真のなかに、撮影場所は異なっているが、同じようなモチーフの「路地の風景」が何点かあるのに気が付いた。
私が子供の頃によく遊んだ我が家の前の道は、大型乗用車が通るときには人は小さくなって避けなければならないような幅の時代遅れの道ではあるが、辞書にいう「家と家との間の狭い道」(ベネッセ表現読解国語辞典)である路地ではない。数年前に市立博物館で古地図の展示があったときに、我が家の前の道がそのままの形で表示されているのを確認した。江戸時代中期から後期には既に重要な道として存在していたと推測されるような道である。
路地で遊んだ記憶はないが、書店で「路地の風景」(小学館)を見たときには迷わず買い求めた。帯には「路地、時の幻燈、夢の濾過装置。佐藤秀明ライフワーク255点の写真と阿久悠最後の詞20編で綴る路地物語」とある。阿久悠の詞と佐藤秀明の写真とエッセイとの見事なコラボレーションである。編集・造本・装幀は鍋倉孝二郎。
まず表紙がすばらしい。カバーにはモノクロの路地の写真が全面に印刷されているが、その中央部分が直径9cmほどの円で丸く刳(く)り貫(ぬ)かれ、そこからは同じ図柄であるカラーの写真が覗いている。歳を経て記憶はモノクロになったが、その窓から覗けば天然色の思い出が蘇るとでも言っているようだ。
鍋倉孝二郎はあとがきで次のように書いている。佐藤秀明から預かった北は網走番外地から南は沖縄諸島までの日本列島の路地路地路地の写真を眺めていると、さまざまな暮らしの音とともに唄が聞こえてきた。そこで、一面識もなかったが、阿久悠に詞を書いてもらおうと執筆を依頼した。そして阿久悠からは20編の詞が届けられたが、これが阿久の絶筆となった。
季節毎に纏められ、見事にレイアウトされている写真を眺めていると、写されているような路地で遊んだ記憶もなく、そのような路地にある飲食店を訪れたこともなく、そこでの生活も全く知らない私ではあるが、何か懐かしい思いが心を満たしてくるのを覚える。
そして、ところどころに挿入されている阿久悠の詞が異なった方向からの風を感じさせてくれる。例えば、彼は「猫と犬と老人と子ども」と題して「もう あの路地はない あの人たちも もういない いたとしても すっかり都会人になって 面白くなくなっている 路地をきれいに片づけ 猫と犬と老人と子どもを 追い払ったのは誰だ」と書いている。
この書物に影響を受けたのか、それとも日本人としての私の心の奥底に潜んでいる感情や感性によるものか、多分後者だろうと思うが、仲間との写真展の作品用としてストックしている写真のなかに、撮影場所は異なっているが、同じようなモチーフの「路地の風景」が何点かあるのに気が付いた。