旅の本

旅の本

KEI(2020年5月20日)

「可愛い子には旅をさせよ」という言葉は「旅によって世の中の辛さや苦しみを経験することにより人としての成長が期待される」ことを意味している。長距離の移動や隔地の情報を得ることが極めて困難だった時代にはこの言葉は真実であり、多くの人の共感を得た言葉だっただろう。
 しかし、生活が豊かになると同時に諸々の手段によりこれらの問題が比較的容易に解決されるようになった現在では、「旅は世の中の辛さや苦しみを経験する」目的よりも「多くの経験、知識や楽しみを与えてくれる」ものになっている。もちろん、命を落としたり、思いもかけない危険に遭遇したりする可能性はあるが、戦争地域や暴動の発生が予想される区域、あるいは噴火危険地帯といった特定の場所に行かない限り、これらはどこで生活をしていても起こるときには起こる問題だ、とも言える。
 このように達観しているわけではないが、私は国内外を問わず旅をするのが好きである。と同時に旅に関係する本を読むのも大好きだ。書庫にはかつての海外出張や海外旅行の際に買い求めたガイドブックを始めとして、国内旅行や街歩きのガイド本などいわゆる旅行ガイドブックが並んでいる。
 そして、これらの本の隣にはガイドブックの数倍の、国内外の旅についての旅行記や紀行文、旅をテーマにした小説やエッセイが置かれている。
 これらの中での出色と思われ、繰り返し読んだ本が高坂知英氏の著作にかかる、もう絶版になっているだろう三部作「ひとり旅の楽しみ」「ひとり旅の知恵」「ひとり旅の手帖」(いずれも中公新書)と「ひとり旅の設計」(講談社現代新書)である。著者による比較文化的な側面を持った旅の方法論を楽しく読んだ。
 高坂氏の著作により、私はポマンダー(Pomander)を知った。内部にエリザベス朝時代の処方による特殊な花と草の乾燥したもの(百花香)が入っている、美しい絵が描かれた直径7cmほどの球状の焼物である。これは香水の先駆をなすものと言われている。フォートナム・アンド・メイソンの若い店員も知らなく、老齢の店員が教えてくれた香水売り場の片隅に置かれていたものを買ったが、50年近く経った現在でも書斎で芳香を放ち続けている。
 高坂氏の書物に加えて私が絶賛してきたのが、今は廃版となったのだろう書店で見かけることもなくなった新書版の大きさの「交通公社のポケットガイド」である。説明は簡にして要を得た文章でなされ、添えられた地図は正確でありつつ実に見やすく分かりやすい。
 パック旅行中の自由時間を使い、このポケットガイドの数行の説明文だけを頼りに、言葉も解らない初めて訪れた国の有名観光地を起点に、そこからちょっと離れた場所を、公共交通機関を利用して訪れたことは幾度もある。そこは誰もいないローマ時代の神殿跡であったり、セルビア人が築いた絵のような美しい街だったりした。